page.1 孤児 ウィンチェスター爆弾魔事件、と聞けば語呂もよく、それなりに整った名前に聞こえるが、僕に言わせれば何の捻りもないつまらない名前だ。 それに比べれば、ロサンゼルスBB連続殺人事件の当時の呼び名だった「藁人形殺人事件」の方がよほど的を射ていて、ユーモアのある名前だったと思う。 それが今回のウィンチェスター爆弾魔事件においては、発生当初事件としての報道が一切されなかったため(この件については後述する)、事件解決後に付けられたウィンチェスター爆弾魔事件というつまらない名前が残っただけである。 僕だったらこの事件にウィンチェスター郊外連続爆破事件、とか、第三次世界大戦未遂連続爆破事件なんていう長ったらしいながらも人の目をひきつける名前をつけてやれただろうに。 まぁ、事件の名称などこの際どうでもいい。 とにかくその日、1987年の10月25日。孤児の少年はふらふらと当てもなく歩いていた町で、電気屋のショーウィンドウに並ぶテレビが映し出す画質の悪い映像を目を凝らして見つめていた。 少年が見つめる先で、キャスターの男がニュースを読み上げる。 「…次は特集です。今日はここ最近の「爆破事故」についてです。ニューヨークやロサンゼルス、遠くはロンドンまで、ヨーロッパ周辺で謎の爆破事故が多発しております。  現場は大きなショッピングモールから住宅街の家屋まで大小様々で、被害者は後を絶ちません…」 少年はそのニュースにピクリと肩を揺らした。 「警察関係者は事故との発表を繰り返していますがその信憑性は決して高いとは言えず、火器の専門家や犯罪心理学者の中にはこれを事故ではなく事件だと指摘する声も上がっており…」 「連続…爆破事故…?」 少年はキャスターの言葉をなぞるようにそう言って、手にしていたパンを一欠けら、口に放り込む。 小さな口がもぐもぐとそれを噛み潰し、喉が一度ごくりと動いて飲み込む。古ぼけた、少し大きめのコートを着た少年。 髪は重力に逆らって、いろんな方向に勝手に伸び、まだ小さいのに目の下にはくっきりと濃いくまがあった。 「………」 「あ!!コラァ、坊主!!」 「…ヤバ」 少し離れた場所をコック姿の男が少年に向かって疾走している。少年は名残惜しげにテレビに目をやった後、路地を曲がって駆け出した。少年はこの周辺の道を熟知していた。巧みに細い路地を駆け抜け、廃屋の中を通り抜け、時には下水道まで使って追っ手をやりすごす。 追ってきたコック姿の若い男は、少年の術中にはまり、行き止まりに到着してようやく足を止めた。 「はぁ、はぁ…クソ、また逃げられたか…」 口ではボソボソと悪態をつきながらも、男の顔は晴れやかだった。男の名はブラム=ジーヴァス。この近辺では有名なパン屋の若手オーナーだ。 歳は26で同い年の妻、リム=ジーヴァスと一緒に開いたパン屋を世界に広めるのが夢だった。 ジーヴァス夫妻にはここから数えて2年後に子供が生まれ、その子供がワイミーズハウスの「マット」、マイル=ジーヴァスである。 本筋とは何の関係もないが、少し触れておけば、マットがワイミーズハウスへやって来たことへの運命性が感じられなくもない気がする。 「クッソー…これで168戦168敗かぁ〜…」 ブラムはあの少年を知っていた。というより、見慣れていた。あの子は万引きの常習犯だ。ウチのパン屋に、週に何度かやって来て、パンを2、3個盗んで逃げ出す。 何度も追っているが、結局いつも袋小路に追いやられて降参だった。 年寄りの頑固オヤジならこの辺で警察に連絡を入れるかもしれないが、ブラムは若い上、童心を忘れない子供っぽい性格だった。彼は少年の万引きを一つのゲームとして楽しんでいた。 これが悪意ある万引きならブラムはすぐさま警察へ連絡するところだが、何度も少年を見てきたブラムは何となく、あの子は孤児なんじゃないかと思い、通報しようとはしなかった。 逃げ込む場所はいつも決まって荒れた路地裏で、盗んでいくパンも、数日分の食事になるかならないかという少量で、しかもそれが無くなるであろう頃に必ず現れる。 こんな様子を見ていれば、誰だって少しはその発想に思い至るのではないだろうか。少年は、自分が生きるのに必要な分だけを盗みに来ているのだ。 だからブラムは、少年が素直に謝れたらその時は、毎日一つくらい、ウチのパンをくれてやってもいいと思っていた。 まんまと逃げおおせた少年は昼間から薄暗い細い路地を歩き回って、追っ手が来る様子がないか念入りに確認していた。 くるくると同じ路地を歩き回り人の気配がないことを確認すると、その場に座り込んで一息ついた。パンをかじり、飲み込む。 逃げ切ったと分かると、少年の脳内は早くも別のことに切り替わっていた。例の連続爆破事件。 「……あれは……そう…事故じゃない…」 少年は話す事に慣れていないのか、少し訛りを感じるたどたどしい言葉でそう呟く。その言葉は誰に向けられたものでもない、ほんのちょっとした独り言。 だけどそれは、少年には何か意味のある言葉だったようだ。 言うが早いか少年はスッと立ち上がり、もう一欠けら、景気づけにパンを口に放り込むと、一目散に駆け出した。 数分後、少年が立っていたのは焼け落ちたレンガ造りの建物の廃墟だった。 どうやらその建物は元は教会だったらしい。僅かに残った壁の造りや、辺りに転がる十字架から、なんとか「教会っぽい」と言える程度には教会っぽかった。 パンを抱えたまま、天井のない廃墟を少年は歩いていく。 足元には白や褐色のレンガや溶けて変形したステンドガラスの破片などが散乱している。ジャリジャリとそれらを踏みしめながら、彼が歩み寄ったのは祭壇だった。 祭壇自体は酷く焼け焦げていてもろい物だったが、その周囲には崩れたレンガで低い壁が築かれている。少年はその一箇所、何の変哲もない一つのレンガを押し込む。 その周りだけが崩れて、彼一人がようやく通れるくらいの小さな穴が出来た。彼はその中に入ると、崩れた数個のレンガを積みなおし、更に数歩進む。 祭壇の後ろに到着した少年は足元に散乱したゴミを軽く払いのける。するとそこにマンホールのような丸い蓋が現れた。 防空壕のようなものなのか、その丸い蓋には焼け跡もほとんど見られず、黒い表面は僅かに焦げているだけだった。 少年は無造作にその蓋をこじ開ける。キィ…、と軋むような音を立てて開いたその扉の下には真っ黒な、何があるかもわからない空間と、頼りなさげな細い鉄の梯子があるだけだった。 少年は梯子に手をかけるとカンカンと音を立てながらその暗闇に下りていった……。