風が吹く理由、涙を流す理由 東儀家に遊びに来た俺は、部屋に行くまでも無く征の姿を発見した。 「せ〜い、見ぃつけた」 「うわぁッ!!」 ちょっと驚かせようと思って後ろから声を掛けると、征は飛び上がった。 「い、伊織…お前、何をいきなり!!」 「あ〜あ〜、このくらいでカッとなるなんて、征もまだまだ若いなぁ」 「当たり前だろ!!俺は伊織と違って年齢どおりの姿をしてるんだから。100歳越えのお前と一緒にしないでくれ」 これが征の口癖だ。 まぁ本当の事だし、反論したところで歳の差なんて関係なく説教されるばかりだ。下手に反論しない方がいい。 「まったく、そんな事だからお前は伽耶様にも嫌われるんだぞ。あの人だって…」 「あの女の話は聞き飽きたよ。征、お前だって知ってるはずだろう?」 「………」 だって、と言いたそうな顔で、幼い征は黙り込む。 俺も若干言葉がキツかったかと思い、出来るだけ表情を和らげて征に言った。 「ありがと」 「…伊織…」 「な〜んて事もあったよねぇ?」 「知らん」 会長の無駄にそっくりな芝居つきの昔話を、東儀先輩は一蹴した。 6月下旬、そろそろ文化祭の準備を始める頃の修智館学院。その本敷地にある監督生棟。 梅雨が明けたのかなんとも分かりづらい天候の中、監督生棟には珍しく役員全員が顔をそろえていた。 全員というのは、生徒会長の千堂伊織、財務の東儀征一郎、副会長の千堂瑛里華、役員の東儀白、そして俺、支倉孝平の5人だ。 「相変わらずつれないねぇ…」 会長こと千堂伊織がそう呟くと部屋の一角、というか俺の正面から溜息が聞こえてきた。 「あのねぇ兄さん…会長なら会長らしく、もう少し仕事をしてくれないかしら?」 「えーー」 露骨に嫌そうだ。というか子供かアンタは。 副会長もそれ以上言及する気は無いらしく、もう一度溜息を吐いてから書類に目を落とす。 「伊織、いい加減にしろ」 東儀先輩はパソコンの画面から目を離さず、会長に向けて冷たく言い放つ。 「えーー」 ……この人のこういうところは、どうやったら直るんだろう。 「うぅ、支倉くん、白ちゃん…せーちゃんと瑛里華がいじめるよぉ」 会長が明らかに楽しんでいる調子で書類整理をしている俺と給湯室から出てきた白ちゃんに泣きつく。 「え、えっと…い、いじめはいけないと思います」 お茶と「さヽき」の和菓子を盆にのせた状態の白ちゃんがわたわたと慌てながらそう答える。 「白、兄さんの言う事を鵜呑みにしちゃ駄目よ」 「あ…はい」 「伊織、あまり白をからかうな」 純粋に受け止めた白ちゃん、それを止める副会長、会長をたしなめる東儀先輩。 俺は話半分に聞きながら書類に目を通していた。 「さ、次は支倉くんの番だよ」 言いながら会長が俺の隣へやって来る。正面の副会長を見る。 「………」 黙々と仕事をこなしている。その様子からは「付き合ってらんないわ」という気持ちが存分ににじみ出ていた。 「さぁ支倉くん、ここの空気に毒されていない君が最後の頼みの綱だ。俺を、不憫な千堂伊織を助けてくれッ!!」 いつものように芝居がかった動作で俺の隣で声を張り上げる。 「……何から助ければいいんですか?」 「おお、支倉くん!!話を聞いてくれるか!!」 「聞くだけですけどね」 書類からは目を上げず、気の無い声で返答する。にもかかわらず、会長は話し始める。 「瑛里華とせーちゃんが俺に「仕事しろー」ってうるさいんだよ」 「ああ、それなら簡単に解決できますよ」 「本当かい!?」 「ええ、会長が仕事をすればいいんです」 「おぶしッ!!」 身を乗り出した会長がそのまま床に倒れこむ。というか「おぶしッ!!」って…。 「支倉が正しい」 「支倉くんの言う通りね」 「支倉先輩の仰る通りです」 俺と会長以外の三人が各々仕事の手を止めずに同意の声を上げる。 「ちぇー…」 そう言うと会長はすごすごと自分の席に戻っていく……かと思いきやそのまま監督生棟を出て行った。 どこに行ったのかと窓の外に目をやれば、山に入っていく会長の姿が見えた。千年泉にでも行くのだろうか。 「………」 俺は眼下に広がる草原を見渡し、その場に立ち尽くしていた。 湿った風が吹き、草を波立たせて去っていく。ここだけは、いつまで経っても昔のままだ。 「………ん?」 草原を見渡していると、珍しい人影を見つけた。 「お〜い、紅瀬ちゃ〜ん!!」 俺が叫んでぶんぶんと手を振ると、その人影はこちらを振り返る。それは間違いなく紅瀬桐葉だった。 俺がいる場所より少し高い位置に彼女は座っていた。 「何してんだい?」 「……別に」 声を掛けてみるが、相変わらず素っ気無い。 「……さすがフリーズドライ」 「何?」 聞こえているとしか思えないタイミングで聞き返される。 「いや、別に。な〜んにも」 適当に言ってから、紅瀬ちゃんの眺めていた方向に視線を向ける。ちょうど、夕日が地平線の向こうに沈むところだった。 「ほぉ…実にキレイだね」 「そう」 「…紅瀬ちゃんも、昔を思い出しに来るのかい?…ここに」 「さあてね。どうかしら」 そう答えると紅瀬ちゃんは立ち上がり、俺の横を抜けて立ち去った。 少しばかり、あの女のことを聞いてみようかとも思ったがやめた。なぁに、まだ時間はあるさ。 俺は目を伏せ、昔、この場所で交わした会話を反芻していた。 「―――ッ―――」 ふと、顔を流れる液体に気付いた。 「…雨か?」 口に出して空を見上げるが、雲はあっても雨が降る様子はない。あたりは徐々に、暗くなり始めていた。 自分の顔を濡らす液体に触れようとして、ようやく気が付いた。 「ふふ…はははは……そっか……」 この液体の正体は、涙、だ。 もう何年も、流していなかった。 ―――彼女の記憶を消したとき、涙は使い果たしたつもりだったんだけどなぁ――― 「ふふ…ふ、ははは……ぅ…ははは…」 泣きながらも、俺は笑う。……ちっとも愉快じゃない。むしろ不愉快な笑いだ。 「―――――――伊織」 後ろから静かな声が聞こえた。その声に顔を上げれば、そこには漆黒の闇と、対照的な白い長髪。 「……征」 「無様だな」 「ひどいこと言ってくれるねぇ、この眷属は」 「常日頃の主の行いのせいだろう」 「…なるほど」 視界が霞んでくる。もちろん涙のせいなのだけれど、それを拭う気にはなれなかった。 「伊織、お前はまだ、彼女のことを引きずっているのか?」 「割り切れると思うかい?」 「いや。お前は口で言っているほど、割り切れてはいないだろうな」 「みたいだね」 征の口調は穏やかだった。 誰を責めるでもなく、ただ淡々と。 「帰ろうか」 「……そうだな」 征はおそらく、誰も責めはしない。俺も、彼女も、あの女ですらも。 だけどだからこそ、俺は、征となら分かり合える気がしていた。 「征、これから学食でもどうだい?」 「…ふ。いいだろう」 「そうこなくっちゃ」 俺は涙を拭って、親友に駆け寄っていった。 じめじめとしていた風は、いつの間にか消えていた。俺の心が少しだけ爽やかになったのを、知っているかのように。                                                           <了>