懐かしい藍色の花と。 さてと、どうしたものかなぁ…。 昼休みの廊下を歩きながら、俺はポケットに入れた紙切れを握り締めている。それが実は、転校した(破壊された)はずの人間(?)からの手紙だったりするわけで。 今朝方、いつも通りに登校し、下駄箱の蓋を開けると、いかにも女の子らしい、それでいて派手さを抑えた可愛らしい便箋が入っていた。恐る恐る封を切ってみればそこには簡潔な文章。 放課後、教室で待ってます。           朝倉涼子 もちろん俺は大いに恐怖した。だからこそ隣に立っていた谷口を不必要に叩きつけて転倒させるくらいの無駄な動きをしてから長門のもとへ走ったのだ。だが、その長門から返ってきた答えは物凄く簡潔だった。 「問題ない」 大ありだ。俺は一度殺されかけたのと同じ状況にもう一度遭遇しなくてはならなくなる。 長門は淡々とした口調で俺に話した。 「朝倉涼子は、私が情報連結を解除し、情報統合思念体の意識の一部に戻った。しかしその後に地球に戻ることを強く望み、情報統合思念体は朝倉涼子からインターフェイスとしての全能力を消去し、一体の人間として地球に留まることを許した。たとえ朝倉涼子が以前と同じ目的で戻ってきたのだとしても、今の彼女には普通の人間程度の力しかない。あなたでも十分に抑えられるし、逃げられる」 そりゃぁ…な。何度もあんな目に遭うのはごめんだが、かといって行かないわけにもいかんだろう。なんたって長門に頼まれたからな。 「行ってあげて」 ってよ。 まぁ、今はまだ昼休み。朝倉の指定した放課後はまだ先だ。 …なんて考えている間に、俺はばったり遭遇したハルヒに、昼休み中散々振り回されたわけだが、それはまた別の機会に話すとして、今回はその放課後に起きた…いや「始まった」出来事について話そうと思う。 放課後―― 朝倉の言う教室、ってのは一年五組であってるんだよな? 窓から廊下中に差し込むオレンジ色の夕日があの時を思い出させる…だけど行くしかない。殺されかけてなんだが、俺は決して朝倉が嫌いじゃなかった。あの時の朝倉はある意味では、以前の長門のエラーと同じだったんだと、俺は思う。 教室の扉の前に立って深呼吸。すー、はー…すー、はー…よし。 ガララ… 扉を開く。一瞬、あの時と寸分違わぬようにすら思えた。差し込む夕日、赤く染まる教室、壊れかけた掃除用具入れ。 だけど、一つ違った。 朝倉涼子は、両手を後ろで組んで、窓の外を眺めていた。北高の制服を着て、俺に背を向けて立っている。 だから俺にはその後ろ姿しか見えない。手に凶器を握っていないことは分かったがな。 「…よぉ、朝倉」 かける言葉が見つからなくて。必死に探した結果がこれだ。くそ、とことんボキャ貧だなぁ俺は… 「…キョン君、久し振り…」 朝比奈さん(大)と同じ言葉だったが、その響きには何か、謝意のようなものが込められていた…ような気がする。 朝倉はまだ振り返らない。夕日の中で、その背中がひどく弱々しく見えて、「ああ、朝倉ってこんなにか細かったのか」と呟きそうになるのをこらえた。 「俺に…何か用か…?」 「…うん」 朝倉が少し俯く。どうするべきなのか俺には分からない… 「まぁ、久し振りに会ったんだし、顔くらい、見せてくれよ」 「え?…あ、ご、ごめん…」 そう言って、朝倉が慌てて振り返る。 彼女の青く美しい髪が、赤い夕日の中で輝く。彼女の、深く淡い瞳が、ゆっくりと俺を捉える。最後に会った時と変わらない、可愛らしい顔だった。…なんて考えた自分が少し恥ずかしい。だけど本当に、とても懐かしい。 「えっと…」 何かを言いよどむ様子の朝倉に俺は声をかけずにはいられなかった。 「お帰り、朝倉…」 「え…う、うん…た、ただいま!!」 朝倉は戸惑った様子で頷き、屈託のない笑顔で答えた。 自分がどうして朝倉にお帰り、なんて言ったのかは俺自身にもよく分からないさ。だけど、朝倉は「帰って」来たんだ。正しいかは分からないけど、間違ってはいないはずだよな?…なんて、言い訳だろうか?誰に対して?…俺に対して、かな。 「キョン君…どうして、どうして私に…そんなに優しくしてくれるの…?」 朝倉はまた俯いて細々と俺に問いかける。 「…さぁな。俺にもよく分からん」 この期に及んでまだ言い訳を続ける気かい、なぁ、俺。 「私…キョン君に謝らなくちゃね…あの時は本当にごめんなさい」 「…そりゃ怖かったさ。今だって内心ヒヤヒヤしてる。また同じことの繰り返しになるんじゃないかって。だけど、違うんだろ?だったらそれでいいんじゃないか?俺は…その…お前を信じてやるから」 何だこれは。自分で言ってて呆れるね。谷口が聞いたら大爆笑だ。だけどまぁ、衝動のままに喋って動く「俺」もいるんだ。だから俺は、つかつかと朝倉に歩み寄り、ポン、とその頭に手を置いた。 「キョン…君…?」 驚いて顔を上げた朝倉の顔は涙に濡れていた。俺だって、自分の行動に戸惑っている。こんな時にどうすればいいのかなんて、俺は知らない。もう、言い訳を考えるのも疲れた。言っちまったって、バチなんか当たらねぇよな? 「朝倉、お前が消えてから俺の中でモヤモヤしてたのが何だったのか、ようやく分かったよ」 「…何だったの?」 もう言い訳なんてしないさ。俺が今朝倉に一番伝えたいことを、伝える。 「好きだ、朝倉」 「………ふぇ…?」 朝比奈さんみたいな声を出すなよ、朝倉。俺は照れ隠しのつもりなのか、自分でも理解できないうちに朝倉を抱きしめていた。殴られたって蹴られたっていい。もう少しだけでいい。このままでいたかった。 朝倉の青い髪が俺の頬の触れる。それを少し心地良いと思った俺がいる。出来るならもう、朝倉を離したくないと願う、俺がいる。 俺と朝倉は並んで窓の外を見つめていた。 「…綺麗だよね」 「…ああ…」 教室の中は静かだ。外からは運動部の威勢のいい挨拶が時々聞こえてくる。もうすぐこの時間も終わりだ。 「ねぇ…キョン君…」 「何だ…?」 朝倉が窓の外に視線を向けたまま、小さく言う。 「さっきの…本当なの…?」 「…ああ…本気だ」 頷いてから、一言付け加える。夕日に照らされて赤かった朝倉の顔が、更に朱色に染まったのが分かる。そんな様子がどうしようもなく愛おしく感じられて、俺も少し顔が熱くなった。 「帰ろっか」 「…おう」 朝倉に促されて、教室の扉の前に立つ。足音で、朝倉が俺の真後ろに立ったのがわかる。何だか朝倉が俺の後ろにいるという状況が、妙に怖い。まだ少しだけあの時の感覚が残っているのかもしれない。 恐る恐る後ろを振り向く。 ふわっとした感触。朝倉の髪がふわりと舞い、整った綺麗な顔が目前にあって、目は閉じられていて。 驚いている間に、朝倉は俺から離れた。 「ふふっ、告白は先を越されちゃったから。こっちは、私が先♪」 朝倉が俺の唇に指を当てながら楽しそうに言う。 「お、おい…朝倉…?」 何が何だか分からない!! 朝倉は楽しそうに笑いながら、右往左往する俺の手を取って玄関の方へ引っ張っていく。 二人で学校を出た。一緒に歩いた。笑いあった。並んで歩けることがこんなにも幸せだとは知らなかった。 また明日、と言って別れた。だけどすぐに携帯に電話がかかってきて。着信表示は彼女の名前で。 いつでも話が出来る、そんな普通の事が凄く幸せで。 彼女の笑顔が、何よりも嬉しくて――――。                                   <了>