化物語-バケモノガタリ- #番外『ひたぎラヴァー』  怪異というものは、突然やってくる。  それはたとえば、吸血鬼を助けて自分まで吸血鬼になったり、階段の上から重さの無い美少女が降ってきたり、やたらと口の悪い迷子の地縛霊に出くわしたり、猿の腕を持つ後輩に夜道で襲撃されたり、小さい頃の妹の友人が呪われていたり、クラスメイトの少女が猫の魅力に取り付かれたりするような、そんな感じの、いつ起こるかもわからない出来事。  予測不能なタイミングで起こる予測不能な出来事の総称が怪異であるなら、これはまさしく、一つの怪異ではなかろうか。  目の前に立っている美少女、戦場ヶ原ひたぎを見ながら、僕、阿良々木暦はぼんやりと、そんな事を考えていた。 ――以下、回想――  いつものように妹たちに叩き起こされ、家を出たまでは良かった。いつも通りの僕の日常である。  だが、家を出たところで、家が近いわけでもないのに見知った美少女と出くわしたことは、異常とは言わないまでも、いつもの僕のライフサイクルからは大きく外れていたと言わざるを得ない。 「おはよう、阿良々木くん」 「……おはよう、戦場ヶ原。何でここにいるのか、というのは聞いても大丈夫か?」 「構わないけれど、私が正直に答える保証も無ければ、私がその質問に答えている間に、貴方の両耳が無くなっていないという保障も無いわよ?」 「わかった、聞かないでおこう」 「あら、残念ね」 「お前は僕の耳を切り落としたいのかっ!?」  シチュエーションは違ってもいつものひたぎ節は健在だった。 「冗談よ。たまには恋人と学校に行くのもいいかなと思って、わざわざ迎えに来てあげただけのことよ」 「下手に出ているのか上から目線なのかどっちなんだ」  自転車を押しながら、戦場ヶ原の隣に並ぶ。  朝の通学路という事を除けば、それはいつも通りの光景である。 「……ねぇ、阿良々木くん」 「んー?」 「私たちって、交際しているのよね?」 「そうだな」 「それはつまり、恋人ということでいいのよね?」 「……そうだな」 「だというのに、どうしてこうも淡白なのかしら?」 「十中八九お前のせいじゃないか?」  言った直後、僕の首筋にカッターナイフが突きつけられ、僕が必死の弁明を――以下、全体カラ一部ヲ省略――なんとか彼女を落ち着かせた。 「要するに、いい加減この状況に飽きてきたから、何か恋人らしいことをしよう、と言いたいんだな?」 「まぁ、いくらか語弊がある気もするけど、そんな感じね」  彼女が頷いたのを確認して、僕は正面に向き直る。  恋人らしいこと、ね。何というか、考えれば考えるほど僕と戦場ヶ原には似つかわしくない言葉のような気がしてくる。 「では、デートをしましょう」 「……は?」  隣から聞こえた唐突な言葉に僕は振り返った。 ――以上、回想終ワリ―― 「まだ一度しかしていないわ」 「それはそうだが……逆に言えば一回はしたことだろう? 何で今もう一度なんだ」  まあ確かに一回目のデートは羽川の怪異のことでバタバタしていた時期だったから、なんとも言えないのも確かだが。 「阿良々木くんは、私とデートするのは嫌なのかしら」 「疑問文のはずなのに命令文に聞こえるな」  ちなみにもちろん、僕は嫌ではない。  戦場ヶ原と違い、僕はそれなりに一般的な恋愛観を構築しているつもりなので、恋人とのデートはごくごく普通に胸踊るイベントだ。  だが、いかなる状況であろうと、相手はあの戦場ヶ原ひたぎである。  悪意が無いことは分かっているつもりだが、それでも彼女の行動は一般的、常識的と呼ばれる範囲内に収まるものとは思えない。  その点こそが、唯一にして最大の問題点だったりするのだ。 「まぁ、僕としては嬉しい限りだよ」 「そう。当然の答えね。それじゃ、今日の放課後にでも出掛けましょうか」 「そんなすぐにか?」 「遅すぎるくらいだけど、阿良々木くんの貧相な学力を補うためにも、学校をサボるわけにはいかないでしょう?」  あんまりといえばあんまりなその言葉に僕が苦笑する頃には、遠目に学校が見え始めていた。 ――放課後―― 「阿良々木くん、行きましょうか」  ホームルームの終了と同時に立ち上がった戦場ヶ原に軽い頷きを返して、僕も席を立つ。  戦場ヶ原は悠長に僕を待つ気も無いようで、すでに早足で歩き出している。  教室を出て、廊下を進み、昇降口へ向かう階段を降り、玄関で靴を履き替え、校門を抜けて外に出る。この間会話は無し。 「それで、戦場ヶ原。今日はどこに行くんだ?」 「そうね……阿良々木くんが気を利かせて何か考えてくれているかもと思っていたのだけれど、ノープランのようだし、商店街にでも行きましょうか」  それは別に僕が悪いわけではないと思うのだが。  やれやれ、と思っているとふいに視界の端に見覚えのある後姿が映った。 「あれ……お〜い、八九寺」  気づかなかったらそれでも構わないさと思って大した声を出していなかったが、どうも彼女は気づいたらしい。 「これはこれは、阿りゅら木さん」 「人の名前を阿修羅みたいに言うな」 「失礼、噛みました」 「「ら」は噛んでも「りゅ」にならないだろ」 「噛みみゅした!」 「わざとじゃないっ!?」  いつものやりとりが行われると少女、八九寺真宵は満足したのか、僕の姿を眺め始める。 「……何だよ」 「阿良々木さん、今日はまたどうしたのですか?」 「別にどうもしないけど。どうしてそんな事を聞くんだ?」 「いえ、阿良々木さんから珍しく『怪異を嫌がるオーラ』が出ていたので、よっぽど大きな怪異にでも出くわしたのかと」 「僕はそんなものを放出しているのか……」  僕がそう呟くのと同時に少し離れたところから戦場ヶ原の呼び声が聞こえた。 「ほぉ〜、阿良々木さん、今日はデートだったんですか」 「まぁ、そんなようなものだよ」  ジトッとした目で見られたが、嘘はつかないでおく。 「まったく。では、ここに行ってみるといいでしょう」  そう言って八九寺は僕に地図のような紙切れを差し出した。僕が受け取ると同時に、八九寺は「でやっ」と叫んでどこかへ走り去ってしまった。よく分からないやつだ。 「何をしているの阿良々木くん」  背後から声を掛けられて振り返ると、いつの間にか戦場ヶ原がこっちに戻ってきていた。 「ああ、いや。今ここに八九寺がいたんだよ。デートならここに行けって」  僕が先ほど八九寺から受け取った紙切れをひらひらと振って見せると、戦場ヶ原は訝しげに眉をひそめた。 「何を振っているのか、私には見えないわ」 「え? だってこれ……そうか、八九寺の所持品も普通は見えないのか」  考えてみれば幽霊の所持品が見えている僕が異常なのかもしれない。 「まあいいや。とりあえず僕には見えてるから、この地図の場所に行ってみてもいいだろ?」 「……構わないわ」  微妙に不機嫌そうな声だったが、まあとりあえず罵詈雑言を浴びせられているわけではないので、心配するほど怒ってもいないだろう。  そして、僕と戦場ヶ原は地図に書かれている道を辿って行ったのだが。 「ここは……」 「だいぶ見慣れた場所ね」  地図の道を歩きながら、途中で既に気づいてはいた。歩きなれた道を歩いていることに。それでも意地というか何というか、引き返すわけにもいかず、せめてどこか近辺の別の場所であってくれと祈っていたのだが。 「……阿良々木くん、いくらなんでもここは無いと思うのだけれど、阿良々木くんはどうかしら?」 「僕も、そう思う」  嘘をついてもしょうがないとかそういう次元の話ではない。いくらなんでもここは無いだろうと、僕自身そう思ったからである。 「おや? 阿良々木くんにツンデレちゃんじゃないか。さっき迷子ちゃんがここに寄って行ったけど、まさか本当に来るとは思わなかったなぁ」 「……忍野」  そう、ここは忍野メメと忍野忍が住んでいるあの廃ビルだった。 「ま、一応迷子ちゃんに言われてるからね。ボクと忍ちゃんはこのまま撤収しておくよ。とりあえず、二時間くらいは戻ってこないつもりだから。ごゆっくり〜」 「…………」  メメの陰に隠れるように立っていた忍を連れて、メメはスタスタと立ち去った。 「えっと、どうする?」  救いを求めて戦場ヶ原に視線を向ける。 「……仕方ないわ。折角の根回しだし、今日はここでゆっくりしましょうか」  戦場ヶ原のその言葉を聞いて、僕たちは苦笑しながら廃ビルに入っていった。 「この辺がいいんじゃないかしら」  ビルに入ってすぐ。なんとなくいつも忍野がいる部屋へ向かおうと階段に足をかけたところで後ろから聞こえた戦場ヶ原の声に振り返る。 「いいって何が?」 「いつも忍野さんたちがいるところでは、落ち着かないわ」  そう言って戦場ヶ原は、近くの錆付いた扉を強引にこじ開けて中に入ってしまう。僕も溜息を漏らしながらその後を追った。  室内は薄暗かった。  夕方ということもあり、日の光が昼間ほど強くないのが原因だろう。  何を話すでもなく、部屋の中央付近にまで進むと戦場ヶ原は立ち止まった。そして、その後を追って歩いていた僕もまた、一メートル弱ほどの距離をおいて立ち止まる。 「……戦場ヶ原?」 「さて、阿良々木くん。私はこういった経験がないから分からないのだけれど、この場合私は何を言えばいいのかしら?」 「は? いや、待ってくれ戦場ヶ原。僕には話がまったく見えないんだが」 「本当? いくら意気地なしで童貞野郎の阿良々木くんでも、私よりは手馴れているのではないかしら?」  いつもなら言い返すところだが、戦場ヶ原の声音がいつもと違って聞こえた気がして、言い返そうと喉まで出かかった言葉を僕は飲み込んでしまった。 「戦場ヶ原、それは―――」  振り返った戦場ヶ原を見て、再び僕は喉まで出かかった言葉を飲み込む。というか、飲み込まざるをえなかった。 「……私、どうも不安みたいなのよ」  それは、僕が今まで見てきた戦場ヶ原のどの表情よりも切なくて、儚げで、そして何より、指の一本でも触れれば壊れてしまいそうなくらいに、美しかった。 「忍野さんから色々聞いたし、私が関わったものもたくさんあるけど。忍野忍、羽川翼、八九寺真宵、神原駿河、千石撫子……。阿良々木くんは皆に対して一生懸命で、皆も阿良々木くんのことを憎からず想っているのがわかるの。だから不安になるのっ! どうしたら阿良々木くんに私を見てもらえるのっ!? どうしたら、阿良々木くんの一番でいられるのよっ!?」  後半はもう叫び声だった。  瞳には溢れんばかりに涙が溜まり、唇を硬く引き結んで泣かないように必死にこらえるその姿は、見慣れたクールな戦場ヶ原とは全く違っていた。  こんな時になんだが、それは、俺の冷静さを粉々に吹き飛ばすくらいには―――可愛かった。 「私の身体をあげれば、阿良々木くんも私を一番に、してくれるかも、って……」  その言葉を耳にしても、いつものように僕の顔は火照ったりしなかった。  むしろ締め付けられるような胸の痛みに襲われ、一瞬血の気が引いていくような感覚さえあった。 「だって私は、私は―――っ!」  阿良々木クンガ好キダカラッ!!! ――以下、後日談―― 「なあ、戦場ヶ原」 「何かしら?」  昼休み、机と顔を突き合わせて昼食を食べながら、戦場ヶ原に声を掛ける。 「戦場ヶ原は、僕のこと、その……好きか?」 「違うわ、大好きよ。愛しているという言葉にも置き換えられるわね」  顔色一つ変えずに凄いことをあっさりと言ってのけた。 「じゃあ戦場ヶ原」 「何?」 「大好きだ。愛してる」  僕がそう言うと、昼食のおかずに伸ばされていた戦場ヶ原の箸がピタリと動きを止める。 「…………そう。当然ね」  いつもよりほんの少し長い間を置いて、僕の彼女はそう答えた。                                         <END>