叶爽太郎の苦悩 「……ねぇ、叶君」 「…………何ですか、幸村先輩」 星華高校の生徒会室で、副会長の幸村先輩に呼び止められた僕はゆっくりと返事を返す。 「今日の会長、おかしくなかった?」 「そうでしょうか……まぁ、少しふらふらしていたような気もしますが」 さして気にしていなかったが、確かに今日の会長、鮎沢美咲先輩はどこかぼんやりしていたというか、調子が悪そうではあった。 「体調でも、悪いんでしょうかね……?」 思ったとおりのことを言っただけで、僕は口を閉じた。 幸村先輩は困ったように笑いながらも、それ以上何も言わずに書類に向き直った。 そのすぐ後に碓氷先輩が生徒会室にやってきて、いつも通りの痴話喧嘩が始まった。 「それじゃ、皆ご苦労だった。今日はこの辺で終わりにしよう」 「うっし、終わったぜぇ」 「もう帰ろうぜ」 「だな」 「帰りどっか寄ってく?」 そんな調子で多くの役員が生徒会室を出て帰宅の途についた。そんな中、碓氷先輩と鮎沢先輩、ついでに幸村先輩も帰る様子がなかった。 「あれ、叶君、帰らないの?」 「……もう少し、お手伝いします」 幸村先輩の隣で書類に手をつける。 「会長、叶って生徒会入ったの?いつ来てもここにいるけど」 碓氷先輩が鮎沢会長にそう尋ねている。 「んー……どうだったかな。そういえば当然のようにここにいるからそんなこと気にしてなかった」 会長はそう言ってまた碓氷先輩と話し始める。 「会長と碓氷さんって仲いいよねー」 「……そうですね」 幸村先輩の呟きに相槌を打ちながらぼんやりと会長を見やる。 少し頬を朱に染めながら、碓氷先輩に食ってかかる会長は生き生きしていた。 「…………かい……ちょう……」 隣に座る幸村先輩にも聞こえないくらいの声で、僕は小さく呟いた。 「そうだ、叶」 「は、はい?」 いきなり名前を呼ばれて思わず声が上擦ってしまった。 「……どうした?随分驚いたみたいだが、そんなに集中していたのか?」 「い、いえ……ええ、まぁ」 思わず矛盾したことを口走ったが、特に怪しまれた様子はなかった。 「その書類なんだがな」 「はい」 答えながらそっと会長の隣に目をやる。 「…………」 碓氷先輩がつまらなそうな顔で会長の横顔を眺めていた。 「幸村、叶……ついでに碓氷。今日はそろそろ帰ったほうがいい」 会長が、生徒会室に残った面々にそう声をかける。 「そうですね、それじゃ僕はこれで」 幸村先輩は今日のノルマを片づけ終えていたので、そのまま部屋を出て行く。 「……それじゃ、僕もこの辺で」 僕が席を立つと、いつもは会長と帰ると粘る碓氷先輩が同時に立ち上がった。 「じゃね、会長。また明日」 「……おう」 碓氷先輩の言葉に反論する気もうせたらしく、会長はどうでもよさげに答えて、手元に眼を落とす。 「じゃ、行こうか叶君」 「……ええ……」 碓氷先輩は僕に意味深な目配せをすると、生徒会室を出て行く。 「………………ついて来い、か」 碓氷先輩の目は、そう言っていたような気がした。 「……珍しいですね、会長と帰らないなんて」 「ちょっと、君と話がしたくってね」 「僕と、ですか……」 相変わらず、よくわからない人だ。 僕に合わせるようにゆっくりと歩きながら、碓氷さんは口を開いた。 「叶、鮎沢のこと、好き?」 「…………は?」 唐突にもほどがある。 だけどその質問には唐突さとは別に、僕に即答を許さない「何か」を含んでいるように思えてならなかった。 「俺は好きだよ。……そういえば、君には前言ったよな、本気になるのも、めんどくさいって」 「え、ええ。聞きました……でも、僕には会長も碓氷先輩も、もう本気にしか見えません」 「まぁ、そんなとこだよね」 ね、と言われましても……。 「で、叶はどうなの?会長のこと、好き?」 「……さぁ、どうなんでしょう。女を避けて生きてきましたから、好きかどうかなんて……」 「そうかもね。じゃ、質問」 碓氷先輩はそう言って、『質問』を始めた。 「まず、俺と会長が楽しく話していたら、君はどう思う?」 「……少し、寂しいです」 「それじゃぁ、会長が廊下で君を呼び止めたら、どう思う?」 「……少し、嬉しいです」 考えながらの僕の返答はどうしてもゆっくりしたものになってしまう。 しかし碓氷先輩は予め用意されていたかのようにスラスラと質問を並べ、僕の回答を待っている。 「呼び止めた君に、会長が幸村のことを尋ねてきたら?」 「……少し、悔しいです」 「なるほど」 そんな調子でいくつか質問が続き、碓氷先輩は僕に結果を伝える。 「叶、君は…………間違いなく、会長が好きだね」 「…………はぁ、そうなんですか」 僕のそんな答えを聞いて、碓氷先輩はつまらなそうな顔をした。 「もっと動揺したりしないの?」 「いえ、仮に僕が会長を好きでも、会長は碓氷先輩が好きなんですから、僕の出る幕はありません」 思ったとおりに言い切ると、碓氷先輩はまた驚いたような顔をした。 「……何か、おかしなこと言いましたか?」 「んー、おかしいといえばおかしいかな。会長のこと好きなのに、付き合いたいとか思わない?」 「……無理ですから」 僕がそう答えると、碓氷先輩は盛大にひとつ溜息を吐き出す。 「…………何ですか?」 「いや、これほど女に無欲な男がいたんだなぁって思ってね」 「はあ……?」 意味はよく分からなかったが頷いておいた。 「まぁ、いいけどさ。それじゃ、またね」 「……はい」 翌日も、会長はどこかふらついていて、調子が悪そうだった。 碓氷先輩も幸村先輩も、他の役員たちもその様子には気付いていたが、会長はなんともないと言ってきかなかった。 その日、幸村先輩と一緒に帰宅した僕は、ちょっと退屈を紛らわそうと隣町までやってきていた。 「……何か、久し振りだな」 そう呟きながら、さてどこへ行こうかと辺りを見回すと、見覚えのある後ろ姿を見つけた。 「あれは…………会長?」 いつも忙しそうにしている会長を、こんなところで見かけるとは思わなかった。 しかし、何をしているんだろうとまでは考えなかった。否、考える隙もなかった。 横断歩道の赤信号の下で車が通り過ぎるのを待つ人の群れの中からふらりと、会長が道路に現れたのだ。 当然そこは、車の通り道だ。 「……か、会長!!!!!」 思わず叫んでいた。 思わず飛び出していた。 突っ込んでくる大型トラック。僕の声に振り返る会長。慌ててハンドルを切る運転手。驚いた様子でざわめく周囲の人々。 そんな情景が、ひどくゆっくりに見えた。 間一髪、トラックの目の前をかすめて、僕は会長を抱きかかえたまま道路の反対側に飛び込んだ。 「……はぁっ、はぁっ…………はぁ……」 「か、のう……?」 会長は驚いたように、しかしどこか焦点の合っていないような瞳で、僕を見返してくる。 「……会長、赤信号のとき、道路に出ると危ないですよ」 そう言ってみるが、会長は相変わらずぼんやりしている。顔が赤く、息が荒い。 「まったく、熱があるのに無茶するんですから……」 呟きながらも、僕はしっかりと会長の身体を抱きしめた。 「無茶しすぎ」 「五月蠅いな!!わかってるよ、でもしょうがないだろ!!」 気を失った会長と、トラックと接触した僕が担ぎこまれた病院の一室で、碓氷先輩は会長にまず第一声。 「うわぁああああ、無事でよかったです、かいちょーー!!!」 幸村先輩は号泣真っ只中。 「……それじゃ、僕はそろそろ……」 僕自身のかすり傷の手当てはとっくに終わっていたので、僕は目立たぬように病室を離れ……ようとしたのだけど。 「あぁ、叶、ちょっと」 背を向けた瞬間、会長に呼び止められる。 「…………はい、何でしょう?」 「ありがとう。恩に着る」 「……いえ」 会長の、輝くようなその微笑みに、僕も自然と口元が緩んでいた。 ……そうか。これが「好き」って事なのかもしれない。まぁ……悪い気はしない。 「叶、お前……」 「はい?どうかしました?」 会長、碓氷先輩、幸村先輩までもが、驚いたような顔で僕を見つめていた。 「笑ってるほうが、似合ってるぞ」 会長にそういわれて、顔が熱くなるのを感じたけど、それでもやっぱり、悪い気はしなかった。 「……会長、好きです」 誰にも聞こえないようにそう言って、僕はいつものフードを目深に被りなおした。                                                    <了>