天使で悪魔な銀色の彼女 我が家の風呂場は狭い。 激安の家賃で住まわせてもらっているのだから、文句を言える立場でないのは重々承知なのだが。 それでもどうしても、その狭さが気にかかってしまう時というのはあるわけで。 そのせいもあってか、我が家に「小さなお客様」がいるときは、このお風呂を使わない場合も少なくない。 勿論、僕の金銭的余裕を考えれば、銭湯よりも自宅の風呂の方が圧倒的に利用頻度が高いのは言うまでもない。 だからあくまでも「少なくない」程度であって、決して多いわけでもないのだが。 「……ふぅ」 最近はのんびり風呂につかる機会が減っているような気がしてならない。 特に普段は、家の中とはいえ、なんとなく「小さなお客様」を一人にしておけず、早めに上がってしまうのだ。 まぁそんなのは僕の自己満足みたいなもので、当の本人にそんな事を言おうものなら無表情に「心配ない」と返されるのがオチだろう。 今こうしてのんびりと風呂につかってあからさまにどうでもいい思考に耽っていられるのは、そのお客様がご不在だからだった。 「あぁ……うん。たまにはいいかな、こういうのも」 「あら、随分とお疲れのようですね」 「そりゃまぁ、ここ最近色々あったからねぇ……」 「それにしては、疲れてるのはあなただけみたいですけど?」 「ほんと、不思議というか何というか…………って、えぇぇえ!?」 あまりにも平然と声を掛けられたので思わず普通に返事をしていたが、その声はここで――間違っても風呂場では――耳にしないはずだ。 「ども〜」 その声に振り返ってみれば案の定。 そこには銀髪の、もう見慣れた少女が、なぜかタオル一枚で悪戯っぽく微笑んでいた。 「……ま、真白ちゃん!?」 湯船につかる僕を満面の笑みで見つめているのは間違いなく、涼風真白ちゃんだった。 「何してんのさっ!!」 「お夕飯はもう食べました?」 風呂上り、いつもの眼鏡を掛けなおした彼女に、僕の第一声は見事なまでにスルーされた。 「いや、まだだけど……じゃなくてっ。どうしてここにいるのさ」 「一人でいるのって、結構寂しいんです。あなたなら、わかってくれるんじゃないかと思って」 「だ、だからって勝手に……」 「鍵はしっかり掛けておかないと、私よりタチの悪い人たちが入って来ちゃうかもですよ?」 「…………」 そこに関しては反論の余地が無い。盗られるものが無いので外出する時や寝るとき以外、鍵をあまりかけていないのだ。 「小さなお客様」こと、支倉志乃ちゃんがいるときはまた別だけど。 その志乃ちゃんは今日は小父さん小母さん――志乃ちゃんのご両親――と旅行中なのであった。 「ちょっと台所借りますね。お夕飯は炒飯でいいですか?」 「え、そりゃ作ってくれるのは嬉しいけど、前に料理はしないって……」 「あなたに食べてもらうために練習しました」 にっこり笑ってそう答える真白ちゃん。 生来の、けれど本来のものではない銀色の髪と瞳を持った彼女は、本来『こちら側』に立つべき存在ではない。 僕の出身中学に通う彼女は、特殊な家庭に生まれ育ち、僕とは違って天才的な頭脳を持っている。 だけど違うのはそれだけではない。 彼女は僕たちとは違う、そして志乃ちゃんと同じ『あちら側』の人間。 人の死に関わる、ありとあらゆる事を許容し、受け入れてしまえる存在なのだ。 「ん、どうかしました?」 「い、いや。別に。そ、それじゃ夕飯、お願いしようかな」 「はい、頑張っちゃいますよ!」 「……ごちそうさまでした」 凄く、美味しかった。 「それは良かったです」 後片付けを一通り終えた真白ちゃんがキッチン――というほどでもないが――から戻ってくる。 「最近覚えたばかりで、少し不安だったんですけど」 「そうなの? 凄く美味しかったよ」 「それなら、作った甲斐がありました」 そう言って真白ちゃんはくすくすと笑う。 志乃ちゃんは彼女を「アレ」呼ばわりしていたし、危険な子であることは僕もわかっている。 だけど同時に、『あちら側』の事象に触れていない時の彼女が、すごくいい子であることも、僕は知っていた。 「それで、どうして家に来たの?」 「え? 言いませんでしたっけ? 一人でいるのが寂しくなって来ちゃったんです、って」 「あれ、それってホントだったの? てっきりいつもの冗談かと……」 「……私って、そんなに信用ないですか? ちょっとショックです」 真白ちゃんはそう言って、拗ねるように俯く。 「い、いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」 「もういいです。言ってもわからない鈍感さんには、こうしちゃいます」 直後、真白ちゃんが僕のほうに身を乗り出してきた。 「ん……」 唇に、しっとりと柔らかい感触。……何が何だかわからない。 「……んぅ……っはぁ」 「ま、真白、ちゃん……?」 言葉に出来たのはそれだけで、あとは金魚みたいに口をパクパクさせるしか出来ない。 何かを言おうにも、何を言っていいやらわからないのだ。 「え、えーっとぉ……」 僕が何かを言いよどむその間、真白ちゃんは珍しく――僕の知る限り始めて――真っ赤になって僕の次の言葉を待っていた。 「ど、どうしたのかな?」 ああもう。物凄く場違いな事を言ってしまった気がする。 「……好き……って言ったら、迷惑ですか?」 「い、いや……でも、その、いいの?」 これは僕でいいの? という意味も勿論だったが、それ以上に、彼女がかつて愛した男性、大垣六郎のことでもあった。 大垣六郎が『正義の味方』でいるために、真白ちゃんは戦ったのだ。 それも全て、大垣六郎への愛ゆえに。 もちろんその「愛」は幼馴染を越えた、兄妹としての「愛」でもあっただろう。 だけどそれと同時に、彼女の中に恋愛感情に近いものも、確実に生まれていたと思う。 「……いつまでも、お兄ちゃんにすがり付いてはいられませんから」 彼女は言った。 それは自分の贖罪でもあるのだと。 「私は、お兄ちゃんの中に自分が残りたいがために、お兄ちゃんを殺人犯にしてしまいました」 人を殺してまで自分を守ってくれたからこそ、自分が好きに人生を生きなければ、その努力に対して失礼だ、と。 「……だから、私は勇気を出します。あなたのことが、好き、です」 正直、戸惑った。 確かに真白ちゃんはいい子だし、可愛いし、頭もいいし。 文句をつけるなんて失礼どころかつけようもない。……まぁ、少し嘘つきではあるけれど。 だけど、僕なんかじゃ、彼女のためにしてあげられる事なんて何も無い。 それこそ、大垣六郎のように、自分が犯罪者になってまで、真白ちゃんを守ろうとか、喜ばせようなんて思わない。 犯罪に走ることが正しいとは思わないけど、それだけの気持ちを、僕は持てるのだろうか。 そう言うと、真白ちゃんは笑った。 「それでいいんです。いえ、だからこそ、とでも言いましょうか」 「だからこそ……?」 「私はきっと、また危険を冒してしまうと思います。その時、私が間違いを犯しそうになったら、あなたはどうします?」 「それは……勿論、止めるよ」 それが当然だと、僕はそう答えた。 「そう、止めて欲しいんです。お兄ちゃんのように、私についてくるんじゃなくて、ちゃんと私を見て、褒めたり、叱ったりして欲しい」 真白ちゃんはそう言って、正面から僕を見据えた。 「だから、私はあなたが大好きなんです」 すごく、真っ直ぐな瞳だった。 その目に見つめられて、僕は思い出していた。 いつだったか、彼女は天使と悪魔のどちらなのかについて考えたときのことを。 答えは未だ出ていないけれど、仮にどちらだったとしても僕の気持ちは変わらないだろう。 天使が必ずしも善良であるわけではないし、悪魔が悪意だけで作られているとも限らないのだから。 でもきっと、このときだけは。 彼女は間違いなく「天使の微笑み」をたたえていただろう。 後日、僕と真白ちゃんは正式に(?)付き合うことを皆に報告した。 鴻池キララ先輩は、 「とんだ大穴やったわぁ。ウチももう少し用心しとかなあかんかったなぁ」 と言いながら、ちょっとだけ寂しげに、笑っていた。 なぜか来ていたクロスくんは、 「んだよ、びくびくさせやがって。俺はてっきり……あ、いや、何でもない。そう、何でもない、何でも……」 と後半は独り言のようにブツブツと呟き続けていた。 そして志乃ちゃんは。 「……………………そう」 それだけ言って、プイッとそっぽを向いてしまった。 彼女らしいような、そうじゃないような。 不思議な反応だったけど、先輩と同じように、少しだけ寂しがっているようにも見えた。 ま、きっと僕の錯覚なのだろうけど。 更に後日。 一日の講義を受け、夕日の差す中を大学の出口に向かっていると、見覚えのある銀髪が夕日の中ではっきりと見えた。 「……あ、どうもです。会いたくなって、来ちゃいました」 「あ、ああ。うん。それじゃ、これからどっか行こうか」 「はいっ!!」 元気いっぱいに返事をした女の子。 涼風真白ちゃん。 僕にとって、きっと一番大切な女の子。 願わくば彼女も『こちら側』の人間になってくれないかな、なんて。 少し、我が儘が過ぎるだろうか。 「何ボーーっとしてるんですかぁ? 行きますよ、ほら」 「う、うん。それじゃ、行こうか」 まぁいいさ。 時間はたっぷりあるんだから。 見慣れているはずの銀色の髪が、今日は一段と輝いて見えた。                                                 <了>