とある魔術の失敗談(ミステイク) byアウレオルス=イザード 禁書目録を司る、純白の少女はふと、本当にふと、目覚めた。自分がなぜこんなところに居るのか、一体ここはどこなのか。何も分からなかった。暗い部屋に横たわっていたらしい。目が慣れてくると周囲の様子が少しずつ分かってきた。どうやらそこは教会らしい。少女の記憶にはこの場所のことも、今までどこに居たかも、何も刻まれていなかったが、自分が「禁書目録(インデックス)」であるという知識だけは残っていた。すなわち、自分の脳内に記憶の変わりに押し込まれている十万三千冊の魔道書こそがイコールで自分である、という知識。そして自分がイギリス清教のシスターであるという知識。 コツ――コツ――コツ―― 床を踏みしめる靴音がいくつも響く。咄嗟に大きな扉に顔を向ける。ギギィ…と開いた扉の向こうには修道服に身を包んだ幾人もの男女が立っていた。少女の本能は告げていた。彼らは決して味方ではない、と。 だから、禁書目録の少女は走った。修道服の一団の脇を走りぬけ、何があるかも分からない教会の外へ。少しだけ明るい部屋の外へ。そしてその瞬間、少女の意識はぷっつりと途切れた。 「異端、なぜこんなところに修道女が?」 突然かけられた声に、インデックスは飛び上がった。彼女は今、古風な町並みの一角で、教会で目覚めたときに身に纏っていた防御結界、「歩く教会」に身を包み、夜の闇の中を歩き回っていた。まさかこんな時間に、人に出会うとは思っていなかった。恐る恐る振り返ったインデックスの目に映ったのは歩く教会と同じく純白の修道服に身を包み、しかし髪を緑色に染め上げオールバックにした男だった。その「緑」という色が示すものを、インデックスは知っていた。男の司る五大元素の一つ「土」を示す属性色(シンボルカラー)。つまり、錬金術師である証だった。 「だ、誰…?」 インデックスの口から出た言葉はそれだけだった。 「当然、疑問は抱くだろう。しかしそれは私も同義。こんなところでイギリス清教の者が何をしている?」 男は飄々とそう言った。細い切れ長の目に、しかし敵意は無く、その目に浮かぶ光は好奇心だった。他の宗教の者に向ける敵意ではなく、単純な好奇心から男は声をかけてきたのだろう。 インデックスには記憶が無かった。なぜか、「必要悪の教会(ネセサリウス)」を名乗る信徒・魔術師たちに追われて、気が付けばここにいた、というただそれだけの話。だから、男になぜと問われても、インデックスは答えることが出来なかった。 「…自然、自己紹介が礼儀だな。私はアウレオルス=イザード。ローマ正教の陰秘記録官(カンセラリウス)で錬金術師だ」 陰秘記録官。教会に所属しながら魔道書を書き記す特例中の特例。インデックスも記憶ではなく持っていた教会の知識から知っていた。錬金術に関しても、彼女の頭の中にある十万三千冊の魔道書は知識を与えていた。陰秘記録官、と聞いただけでインデックスは一歩後ずさった。「特例中の特例」は所属する教会に全面的な保護を受けている場合が多い。そんな相手と会話をするのは綱渡りと同じこと、一歩間違えれば、自分はただでは済まされない。 しかし、アウレオルスと名乗った男は、そんな自分の素性を隠そうともせずに、自らインデックスに話しかけてくる。その表情は柔らかく、優しい笑みに包まれていた。 「私は…インデックス」 なんとかそう言った。 「消極、元気が無いようだね、インデックス」 インデックスの恐怖と緊張をよそにアウレオルスはまるで旧知の友人に話しかけるように気さくに話しかけてきた。 「…そうだ、いいをもの見せてあげよう」 俯いているインデックスに、アウレオルスは声をかけると修道服の袖を軽く揺すった。すると、透明なケースに入った針と糸が零れ落ちた。アウレオルスはそのカプセル状の物体を手に取り、糸を摘んで中の針を引き抜く。不思議そうな顔をするインデックスを一度だけ見てから、そばにあった石に目をやると、糸を振るって針の先端を石に触れさせた。ただそれだけだった。 瞬間、石が黄金の輝きを放つ液体になっていた。 目を丸くするインデックスをアウレオルスは楽しげに見つめながら口を開いた。 「自慢、瞬間錬金(リメン=マグナ)。私の開発した錬金の道具だよ。もっとも、まだ実験段階だけどね」 インデックスは錬金術そのものについての知識は持っていたが、実際にそれを目にしたのは初めてだった。しかし、一瞬にして石を金に変換する様はとても美しかった。一瞬で魅了されたインデックスは、宗教の違いという壁も忘れ、アウレオルス=イザードという名の錬金術師に話しかけていた。キラキラと顔を輝かせながら。 「私に、錬金術を教えてください!」 (時間、私も変わったものだ) アウレオルス=イザードは一人、暗闇に佇み溜息を漏らす。 ここは学園都市の一角にある進学塾「三沢塾」なる建物の最上階。その暗い一室でアウレオルスは窓の外を眺めていた。姫神秋沙は先ほど、「グレゴリオの聖歌隊」の発動後に部屋を出て行った。「アウレオルス=ダミー」と呼んだあの影武者はどうやらあのステイル=マグヌスと、上条とかいう人間に敗北したらしい。 「私も、出向かねばなるまい」 そう言って、アウレオルスは階段を下り始めた――。 かつて本物の神父として柔らかい微笑みに満ちていたアウレオルスの表情は、今や冷徹な仮面に覆われていた。表情を失ったアウレオルスはそれでも、たった一人の少女、涙を流して忘れたくないと訴えた禁書目録の少女を救うために、研究を続けてきた。自分が主人公(ヒーロー)になることは、永遠に叶わぬとは知らずに――。