「暑ぃ……」 昭和26年 6月 ××県鹿骨市 興宮。 その一帯を見守る興宮署のデスクで、私はぼやきながら汗をぬぐった。 「……今日、いつもより暑くありません?」 隣のデスクで顔色一つ変えずに仕事をこなす若い男に声をかける。 「大石くん、君はそろそろ巡視に出る時間だろう? 無駄話をしていていいのかね?」 仕事の話で返された。 「あ〜……はは、そうでしたっけ? じゃ、行って来ますかねっと」 「ええ、行ってきてください」 名前なんて覚えてもいない男だったが、それなりに優秀な人材だった気がする。 人の名前覚えてやがるし、巡視の時間帯まで……。 実際のところは、私自身の頭の中にも自分の職務の時間割くらいはしっかり入っているので、彼に言われなくてもそろそろ出かけるつもりではいたのだ。 「……ったく、胸糞悪ぃなぁ」 彼に聞こえないようにそう呟いてから、私はのんびりと興宮署を後にした。                * 「そのエリートって、誰だったんすか?」 熊ちゃんに聞かれて、私は苦笑しながら答える。 「後でわかったんですが、そいつ、園崎のテの者だったんです。惜しい事したと思ってますよぉ? なっはっはっは」 とは言っても、当時の私には園崎家との因縁なんか無かったのだから、仮に私がその男が園崎だと知っていても、何かできたとは思い難い。 「ま、そこで食ってかかってたらそれはそれで危なかった訳ですし、穏便に済んで良かった、という事にしておきましょう。んっふっふ」                * 正直なところ、昼間の巡視なんて退屈極まりない。こんな事していたって、出くわすのはせいぜい学校サボって街にいる不良くらいのもので、凶悪犯罪なんかに出くわす確率なんて計算する気にもならない。 「……おぉっとぉ?」 手持ち無沙汰に街を歩いていた私の前に、学ランをだらしなくひっかけたいかつい顔つきの少年が三人飛び出してきた。 「あんじゃいワレェ!? 邪魔じゃジジィ!!」 先頭に立っていた少年が無駄に良く通る声で怒鳴りつけてきた。言いがかりのつけ方が下手すぎる点以外は、ごく普通の不良少年だ。 「アンタら昼間っからこんなトコにいて、学業の方はよろしいんですか?」 「っせんじゃボケェ!! ワシの質問に答えんかこのダラズがっ!!!!」 口は悪いが出てくる言葉はワンパターン。大して怖くも無い。私は心中で苦笑し、顔では挑発するような笑みを浮かべながら胸ポケットの手帳を取り出し、三人に見せた。 「これはこれは失礼しました。私、こういう者です」 この程度の不良など、手帳を見せれば少しは大人しくなるだろうと思っての行動だった。 案の定、三人のうち二人は真っ青になって逃げ出して行ったが、先程からしつこく怒鳴りつけてくる少年だけはその場に残っていた。 「ケッ……サツだか何だか知らねぇが、その程度でビビる俺じゃあ、ねぇんだよぉぉ!!!!!」 威勢だけは一人前に、隙だらけのフォームで拳を突き出してくる。 なかなかゴツい腕ではあったが、実戦で使った事のない攻撃などかわすのは簡単だ。 私はその右ストレートを、少し身体をずらして避けると、少年の腕を握り、後ろ手に捻り上げる。 「ぐぉう!? あ、だだ……ってーなコノ野郎!!!」 「今日は見逃してあげますが、これって立派な公務執行妨害ですからね? ……一応、お名前を聞いておきましょうか」 「ぐぅ……ほ、北条や。北条鉄平じゃボケェ!! ほれ、喋ったんじゃから離さんかい!!」 「失礼しました……んっふっふ」 「ケッ」 北条と名乗った少年はそう言い捨てて立ち去った。                * 「北条鉄平とそんな縁があったんですか」 「えぇ、まぁ。でもきっと、あちらさんは覚えちゃいないでしょうがね」 当時の北条鉄平はおそらく数え切れないほど警官に補導されていただろうから、そのうちの一人を覚えていろというのは無理な話だ。                * 数日後――― 先日と同じように巡視に出ていると、北条鉄平を発見した。 「アンじゃい、オノレは!?」 ……ま〜たやってんのか。 通りすがりの男にいちゃもんつけるのが最近の不良のたしなみなのだろうか。 そんな事を考えながら鉄平に近づくと、足をかけて地面に組み伏せた。 「ぅおッ!! 何しやが……」 「その辺にしておいた方がいいですよ? さもないと……」 「ゲッ、テメェこの間の……クソッ」 悪態を吐きながら、鉄平は去っていった。 それを確認するとすぐに、絡まれていた男に声をかける。 「お怪我は、ありませんでしたか?」 「大丈夫です。ありがとうございました」 二十代そこそこの若い男だった。 鉄平に絡まれて何も出来ずにいた割には、随分と落ち着いた対応だった。 「アナタ、こういう事に慣れてます? アブないお仕事なさってるんじゃありませんか?」 単刀直入にそうたずねると、男は驚いた様子で答える。 「まぁ……一般的でないことは確かですね。ところで、その、あなたは?」 「あぁ失礼。名乗るときは自分から、でしたね。私、こういう者です」 警察手帳を見せると、男は安堵の表情を覗かせる。……後ろ暗いところがある訳じゃなさそうだ。 「……荒事ですか?」 「巻き込まれやすいのは確かですが、違います。……刑事さん、話すのは構いませんが、ここでは……」 「おっと失礼。では、そこらの雀荘にでも入りますかね」                * 「雀荘、ですか……」 「内緒話ってのはねぇ、聞かれそうなところでする方が安全なんですよ、熊ちゃん」 「……はぁ、そうっスか……」