■警告の時 既に日は傾き始めていた。 古手神社の境内にはダム計画撤回を求める過激な文句の刻まれたテントがズラリと並び、鬼ヶ淵死守同盟の幹部たちが数人、談笑している。その会話に耳を傾ければ、聞こえてくるのは同盟とは関係の無い話ばかり。そんな話をする時くらい物騒なタスキははずして欲しい。 私としては静かな村の雰囲気を崩されるようであまり気分の良いものではない。 村の老人たちや喜一郎にも会ったが、挨拶の方は私が何とか切り上げさせた。 「……赤坂、こっちなのですよ」 私は赤坂の袖を引き、境内の中でも奥にある高台へと誘った。 赤坂はただついてくる。そして――― 「…………………これは、…………………すごい……」 その景色を見ての赤坂の感想はその程度の言葉だったが、その表情から、赤坂が僅かな言葉の何倍もこの景色に感動している事が伝わってきた。 「……ここはボクの一番お気に入りの場所なのですよ」 そう言って赤坂に笑いかける。 すると彼は先程までとは違う、複雑な面持ちで口を開いた。 「………………こんな村が、…湖底に沈むことになってるなんて、…信じられないよ」 その言葉に、ふと我を忘れて叫びそうになってしまう。そんな事はないんだ、と。 「……沈みませんよ。ダム計画なんて、必ずなくなっちゃいますのです」 何とか「古手梨花」のイメージを保つのが精一杯で、結局言葉は止められなかった。 しかも私の口からは、私の意識とは反対に、どんどん言葉が溢れ出す。 「……………赤坂は、……この村が沈んでしまうと、…思っていますか?」 「………………………沈んでほしくなんか、ないよ」 赤坂は悲しそうに答える。 この村がダムに沈むと、諦めの混じった表情で。 だけど私はその決定がすぐに覆る事を知っている。だからそれを伝えずにはいられない。警察という立場の赤坂にとって、それが一番辛い言葉かもしれないと思いながらも、言葉の流れは止まらない。 「……沈みませんよ。ダムの計画はもうすぐなくなりますですから」 先程と同じような言葉を、しかしより強調して伝える。 「……………もうすぐ、…………なくなる…?」 ゆっくりと、赤坂が私に向き直った。私もその瞳を真っ直ぐに見つめ返す。 「……はい。…なくなりますのですよ」 「どうして………そう言い切れるんだい?」 「……それはなのです。……………………」 口を開きかけた。全てを話してしまいたい、そんな気持ちが私の中にあった。だけどその時、私の肩にすっと手が置かれた。 目だけでそちらを見やると、半透明の少女が黙って首を振っていた。 オヤシロさま…羽入。 あぅあぅ言っているいつもの羽入とは違う真剣な表情に、私は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、取り繕った。 「……………赤坂が何をしてもしなくても。…ダム計画は今年で終わりになってしまうのです。もう決まっていることなのですよ」 信じられないという顔で赤坂は辺りを見回す。 「………………どうして、そう思うんだい?何か確信があるなら、私に教えてくれないかい…?」 羽入があぅあぅと首を振って私を思いとどまらせようとする。私は答えるべきか迷った。 「……だって」 「…だって…?」 「……決まっていることなのです。…他に言いようがないのですよ…?」 「…き、………決まっているって………言ったって…………」 その時、赤坂の今までの様子や「去年」の彼の様子が脳裏によぎった。 私は彼に伸ばそうと思っていた手を、止めることにした。こんなにも優しい彼に二度とあんな惨めな思いをして欲しくなかった。 必死にいやいやをする羽入を振り切って、私は口を開いた。 「……赤坂」 「…………何だい?」 「…………東京へ帰れ」 赤坂の表情が凍りつく。だけどわたしはやめない。 「…………あなたはさっさと東京に帰った方がいい。……でないと、ひどく後悔することになる」 赤坂のシャツの袖を握る力を少し強める。 「それがあまりにもみすぼらしくて、気の毒な姿だから。……今のうちから警告してあげているのです」 「………どうして、……私が後悔することになる……と?」 「……………いちいちうるさいな」 もうどうしようもない。取り繕う事が不可能だと悟った私は思うまま赤坂に答える。 「……あなたの親は、あなたが赤信号の横断歩道の真ん中にいる時、どうして危ないのかを全部説明し終えるまで、あなたの手を引っ張らないの?引っ張るでしょう?まず歩道まで連れ戻してから、なぜ危険なのかを説くでしょう?………つまりはそういうこと」 こんな例えでは私の伝えたい事は半分も伝わらないかもしれない。そう思いながらも、その決定的な言葉がどうしても口に出せない。 たった一言「奥さんが大変なのです!!」と伝えられたらどんなに楽だろう。 「…………………警告はした。…勘違いしないでほしいのは、…私があなたを嫌いだからこういうことを言ってるわけじゃないってこと。………死んでもいい人に、危険なんかを教える必要はないのだし」 「………君は………誰だ。……梨花ちゃんじゃ、……ない」 「……ん?………くすくすくすくすくすくす…!」 赤坂の尋常じゃない怯え方に込み上げる笑いを無理やり抑える。その笑いには少なからず、自嘲の笑いも含まれているのだが。 「………赤坂の怖がり。……くすくすくすくすくす!」 そして私は、もう一度だけ笑って見せた。 TIPS:難と無難 「ふぅ…」 「ふぅじゃないのです!!急にあんな事を言っては駄目なのですよ!!」 「うるさいわね…仕方ないでしょ。私だって人間だもの。たまには感情の歯止めが利かない時もあるわ」 「だからってあんな…あんな…あぅあぅあぅ」 「いいじゃない。なんとか誤魔化せたんじゃない?」 「…梨花は誤魔化せてないとわかってて言っているのです。性質が悪いのですよ」 「くすくすくす…」 「…まったくもう、なのですよ…」