■届かぬ声のその後に 目の前の光景に、私は一人落胆していた。 ダム工事のプレハブ小屋。抵抗運動をする村人たちの様子を、少し離れたところから見るともなしに見ていると、一台の車がやって来た。見覚えのある車…といっても、この世界で見るのはまだ初めてだったはずだけど。 人が2人ほど乗っているようだ。運転席と助手席に人影がある。 座り込みの一団に道を遮られた車が停車し、運転席から大石が降りてきた。そのときになってようやく、私は助手席の人影が誰なのかに気付いた。 「赤…坂…?」 そう、その人影の正体は、赤坂衛だった。 「どうしてここに…?」 「あぅあぅあぅ…」 羽入があぅあぅ言っているが、私は無視して助手席に近づいて行った。 近づけば近づくほど、その人影はハッキリしてくる。もはや疑いようもなく、それは赤坂だった。彼のすぐ脇に立つと、彼も気付いたようだった。 「……………………………ぇ」 赤坂の口が僅かに動いた。多分驚きの声を上げたのだろうが、周囲の怒声や爆音のようなお経で声など聞こえるわけがない。 おそらく私は、心底落胆した表情で赤坂を見つめていたのだろう。 彼も私のその表情に気付いたのだろう。戸惑いの表情で固まっている。やがて赤坂は「やぁ」と口を動かして片手を上げたが、私はソレにすら何の反応も出来なかった。 私はただただ淡白な無表情を形作り、今からでも赤坂が東京へ帰ることを祈るばかりだった。 と、向こう側のドアが開いて、大石が戻ってきた。赤坂に一言二言くらい声を掛けたところで、大石が赤坂の視線の先にいる私に気付く。「おや?」という顔で大石も少しの間私を見つめていた。私が赤坂にもう一度何か警告の言葉を…と考えたあたりで、前方から座り込みの一団の男が一人やって来て私を抱きかかえた。 「梨花ちゃま!!そんなとこにいなすったら危ねぇですよ!!」 抱きかかえられたまま、それでも赤坂を見つめて、私は言った。 「……警告したのに……どうして…?」 私の声は辺りの騒音にかき消され、赤坂どころか私を抱えている男にすら聞こえはしなかっただろう―――。 「…………………梨花…?」 「……なによ……」 羽入の声に私は無愛想な返事を返す。 「落ち込んでいてはだめなのです。この世界で、まだ何かできる事があるかもしれないのです」 羽入は口でこそそんな事を言っているが、その表情が、もうすでに期待などしていないような表情だった。 ポツリポツリと降りだした雨が、次第に強くなってくる。私は、雨宿りなどするつもりもなく、すぐに土砂降りになった雨の中で、ずぶ濡れになりながら家を目指す。 「…ねぇ、羽入?」 「あぅ…どうかしましたですか?」 羽入に声をかけたものの、自分でも、今何を言うべきなのか見当もつかなかった。迷った末、結局私は思ったとおりのことを訊ねることにした。 「……私は、昭和58年の7月を、いつかむかえられると思う?」 「…………」 羽入はすぐには答えなかった。だけどいつものようにあぅあぅ言うわけでもなく、すっと静かに目を閉じて考え込んでいるようだった。 私はその邪魔をするのが悪い気がして、ただ黙って歩きながらその答えを待った。 「……むかえられるかどうかは、ボクには分からないのです」 「そう…」 その答えに私が溜息を吐くと、羽入は慌てて再び口を開く。 「ま、待つのです。まだ全部言ってないのです!!」 「何?もう答えは聞いたわよ」 「そうじゃないのです!!……むかえられるかどうかは分からなくても、ボクはむかえて欲しいと思うのです!!」 「…どういう意味?」 私が問い返すと、羽入はどう続けていいかわからない様子であぅ…と口をつぐんだが、それもほんの少しの間だけ。 もう一度口を開くと、羽入はさっきまでとは違う、強い意志のこもった瞳で、私に言った。 「梨花には、幸せになる権利があると思いますのです。何度も何度も、昭和58年の6月を乗り越えようとしてきた100年近い努力は、いつか梨花を幸せにすると思いますです。頑張った梨花にはその権利がある…いや、なくてはならないのです!!」 羽入は珍しく声を荒げてそう言った。私はその力強い言葉に押されながらも、それを頼もしく感じていた。 「…そうね、まだ、諦めないわ…」 土砂降りの雨が、この100年分の疲れを洗い流してくれているような気がした。