■6月18日(日)夕 赤坂が負傷した。 例の事件の絡みなのだろう。私は現場に行ったことこそないが、もう何度も見た、予定調和の一つに過ぎない。 入江と話をしても病室には通してくれないだろう。赤坂の怪我の具合は分からないが、入江はあれでしっかりした人間だ。 守るべき規則は守る……というほどではないが、プライバシーの保護をおろそかにする人間ではない事は確かだ。 それに、病院で話すべき内容とも思えなかった。 そんな事を考えながらも、私は入江診療所へと走っていた。 対策なんて何も無い。それどころか、診療所に行ったところで赤坂に会えるかどうかすら怪しい…だけど、行くしかなかった。 「お願い…間に合って!!!」 私はそう呟き、非力な幼い「古手梨花」の身体を必死に動かした。精神と肉体でこうも状態が異なるとは…。 診療所へ駆け込むと、急いで時計に目をやる。 「……ぁ……」 間に合わなかった…?そんな…そんなのって…。 あとほんの少し。10分、いや5分。たったそれだけ、ここに着くのが早ければ。赤坂に電話をかけさせる事ができたのに。そうすれば、きっと私の話を聞いてくれると思っていたのに…。 私は入ってきたそのままの場所でがっくりと膝をついて座り込んでしまう。待合室に残っていた数人の老人たちが私の様子に驚いて近づいてきて、口々に「どうしなすったね梨花ちゃま!!」と声をかけてくるが私は自分の見てくれがどうなっているかより今どうするかを考えるのに必死だった。 どうしようもない。間に合わなかった以上、後は赤坂が電話をかけるだけでアウト。 ……ん?電…話……? 「電話……」 「梨花?電話がどうかしたのですか?」 「……そうよ。電話よ!!」 私はそう叫ぶと、周囲に集まっていた老人たちに駆け寄っていった。老人たちは先程からの私の落ち着きのなさを不思議そうに見ていたようで、駆け寄った私へどうかしたのかとしつこく聞いてくるが私はそれを無視した。 「誰か、ハサミを持っていませんですか?……いえ、刃物なら何でもいいのです」 突然私が刃物が無いかと喚き始めたので何事かと面食らった様子だったが、一人の婆さんがおずおずと手を上げて口を開いた。 「護身用のナイフだったら持っとるけんど……息子が用心のためじゃ、って」 「貸してくれますですか?」 「あ、ああ。構わんよ?梨花ちゃまの頼みでっからのう」 私は差し出された護身用のナイフをひったくるように受け取ると、辺りを見回した。受付の脇、私のすぐ後ろに患者向けの電話が置いてある。私はすぐさまそこに駆け寄り、電話線を手繰り寄せると適当なところで切断した。 私の突然の奇行に周りの面々は呆然としていたが気に留めている暇は無い。 受付の方を見ると、診療所の職員が数人せわしなく動き回っている。おそらく事務室にも電話はあるだろうがいくら私でも事務室に入って電話線を切るなんて無理だろう。出来たとしてもバレずに、という条件がつけばそれこそ本当に不可能だ。 赤坂が職員の見ている前で奥さんに電話をするとも思えない。ここは諦めた方がいい。 「梨花ぁ……そんなことをしちゃだめなのですよ」 「うるさいわよ羽入。私の命だってかかっているのよ?電話線と私の命、アンタにとっては電話線の方が大事なのかしら?」 「あ、あぅあぅあぅ……」 私の言葉に羽入は口ごもる。 それを少しくらい眺めていたい気持ちもあるのだが、残念ながら今はそんな悠長にやっている時間は無い。 「行くわよ、羽入」 私は診療所を飛び出した。 ここから一番近い公衆電話は……たばこ屋だ。 道はほとんど真っ直ぐ。あそこなら赤坂にも分かってしまう。診療所の誰かに公衆電話の場所を尋ねればおそらく最初に紹介される場所はここのはずだ。 そっと店内を覗くと店の中には人が見当たらない。奥にでもいるのだろう。その方が好都合だ。 診療所と違って、ここなら何をしても怪しまれないので(というかそもそも人がいないのだ)、私は店に入り込むと電話の裏に回りこみ、電話線を切断する。 「り、梨花ぁ……」 羽入の声が聞こえるが、何か意味のある言葉でないのなら言葉を返すつもりもない。 店から出て、次はどこかと考えていると、再び羽入が声を上げた。 「り、梨花!!まずいのですッ!向こうを見るのです!!」 羽入の声に振り返ると道の向こうから赤坂が走ってくるのが見えた。診療所の寝巻きのままだ。その若い行動力が少し微笑ましい光景のように思える。 しかしそれを眺めてばかりもいられない。 私は赤坂がこちらに気付く前に走り出していた。次に近いのは……街に向かう途中にある電話ボックスだ。あのタバコ屋から一番近く、道も分かりやすい。赤坂がタバコ屋で紹介されるならあそこだ。 全速力で電話ボックスに急ぎ、中へと駆けこむ。 「はぁ……はぁ……これで……」 もう電話線だかなんだかわからないまま刃を入れたがどうやら受話器のコードだったらしい。よく考えたら最初からこっちを切った方が早かったかもしれない。 「梨花、来ましたのです」 「……わかったわ」 私はここなら話もできると踏んで動く事にした。 道路脇の茂みに隠れると、赤坂が来るのを息を殺して待つ。ほどなくして、赤坂がやって来た。 赤坂は電話ボックスの戸に手をついて荒い息を整えている。しかしそれも束の間。すぐにボックスの中に入ると、かがみこんで電話線を調べている。どうやらまだ電話をかけてはいないらしい。間に合ったという安堵と、知らせてあげられなかった後悔の両方が込み上げてきてあまり気分の良いものではない。 赤坂は硬貨を取り出して受話器を取る。……そろそろ、気付くだろう。 ―――何だよ、これ――― 赤坂の口が、そう動いたように見えた。もう引き返すわけにはいかない。覚悟を決めると私は一歩踏み出した。 じゃりっと、………砂利を踏む音がした。 電話ボックスの中では、光が反射して、私の姿がよく見えないらしい。赤坂は一瞬怪訝そうな顔でこちらを見た後、意を決したように戸を開けて出てきた。 赤坂が私を見て、再び目を見開く。 「………………………君は…………、」 赤坂の言葉を遮るように、ひゅー、と風が吹いた。その風に舞う私の髪がゆっくりと落ち着くまでの間を取ってから、私は口を開く。 「………怪我人が、診療所を抜け出してはいけないのですよ…」 赤坂は最初こそ驚いた様子だったが、それほど動揺はしなかった。もしかしたら、私がやってくることを何となく感じ取っていたのかもしれない。私が、赤坂が電話をかけると知っていたように。 「…ねぇ、赤坂?」 反応の無い彼にもう一度声をかける。 「………君が、………電話のコードを?」 「…………………」 答える必要は無いだろう。事実、赤坂は私の無言をしっかり肯定と受け取ってくれたようだし。 「……どうして、こんなことをするんだ…?……どうして!!」 言ってから赤坂はハッとしたように取り繕ったが、別に謝られる事じゃない。怒られて当然の事を、私はやったのだし。だから私は、その謝罪のような言い訳には答えず、変わりに先程の「どうして」に答えた。 「………もぅ、どうにもならないことです」 「…え?」 私の言葉に赤坂は戸惑っているようだった。コロコロと表情が変わる。私の言葉を理解し、落胆し、不審に思い、焦り、恐怖する……赤坂の考えのほとんどが分かってしまった気がする。 「……………赤坂が私を、気味悪く思っているのがよくわかる」 「え、……あ、……いや、……そんなことない……よ」 咄嗟に出た定型文、ってところかしら。しどろもどろの赤坂の様子を見ればそれが嘘だということくらい誰にでも分かる。赤坂自身、自分の発言では全く誤魔化せていないことを悟っているようだった。 「……くすくす」 以前と同じような展開に苦笑してしまう。赤坂がそんな私を見て表情を固くすると、いよいよ笑いがこらえきれない。 「……赤坂の、怖がり。くすくすくす…」 「こ、怖がってなんかいないよ…!」 私に笑われるのが不愉快だったらしい。子どものように言い返してくる。 面白いのだが、いつまでも笑ってばかりいられない。私はもう一度、今度ははっきりと口にする。 「……もう電話を探しても手遅れの時間です」 「…………………はぁ。………そうだなぁ」 そこでようやく諦めがついたのか、赤坂は疲れたような表情になった。自分の格好を見下ろし、苦笑している。今になってようやく羞恥の念が込み上げてきたらしい。 「………もうこれで。今夜、赤坂がすることは、何もないです」 少しだけ、沈痛な響きになってしまったかもしれない。幸い、赤坂はそれには気付かず、普通に返事を返してきた。 「そうだな、もう何もないよ。………大人しく診療所へ引き上げるさ」 「……それがいいのですよ。診療所への道はわかりますですか?」 「…わかるつもりだよ」 そう言うと赤坂は私に手を振って背を向けた。今置いて行かれたら元も子もない。私は小走りに赤坂に追いつくと横に並んで歩き始める。赤坂は不思議そうに私を見下ろしているが、迷惑そうでもない。どうやら追い払われる心配はないようだ。 「梨花ちゃんの家も、こっちの方向なのかい…?」 「……なのですよ」 「こんな時間に一人で表を歩いていると…ご両親に怒られたりしないかい?」 「別に怒られませんです。今日はご両親は忙しい日なので、ボクのことなど忘れていますですよ」 別にそれが悲しいわけでも何でもなかったが、赤坂は私のその言葉を寂しがっていると取ったようだ。 「…それでも、帰った方がいい。きっと怒るよ」 「……それでも、赤坂とおしゃべりする方が面白いのでいいのです」 赤坂はしばらく進むと診療所とは違う方向へ曲がろうとした。その道はダム工事の現場に向かう道……その偶然がなんだか怖くて、私は声をあげて赤坂を止めた。 「………赤坂は診療所へ戻るのでは、ないのですか…?」 「もちろん、…戻るつもりだよ。………道、間違えた…?」 二人してしばし沈黙。 ……そろそろ、話してもいい頃だろうか? 私は目の前にある赤坂の服を掴むと、診療所の方へ歩き出した。赤坂も抵抗せずについてくる。 私と赤坂の、診療所へ戻るまでの道中のささやかな散歩の始まりだった。 「………電話のコードを切って回ってたの、梨花ちゃんだろ?駄目だよ、もうしちゃ」 「……ボクには何のことかよくわかりませんのですよ」 「本当にかい…?」 「にぱ〜〜…☆」 私は適当に誤魔化してこの話題から逃れる。今話すべきはそのことではないのだから。 「孫、…無事に見つかって良かったです」 赤坂は咄嗟に返す言葉が無かったようだ。それはそうだろう。本来いきなり振るような話題ではない。だけどそんな理由で躊躇してもいられない。……もう、今しかないのだから。 「……何とかね」 赤坂も誤魔化す必要はないと悟ったようだ。 「それは良かったです。……これで東京に帰れますですよ」 「…………………ありがとう」 「……赤坂の怪我はひどいのですか?」 「さぁ、…ひどいのかどうか、医者の診察を聞いてないからわからないな」 赤坂の傷の状態はわからないが、顔色や歩き方を見るに、あまり浅い傷には見えないのだが……。 「……怪我人は診療所を抜け出してはいけないのですよ」 「電話のコードだって切っちゃいけないんだぞ」 「……みー。ボクには何のことやらわからないのです」 「じゃあ、こっちだって何のことかわからないや」 とぼけあい、笑い合う。ほんの少しだけ、魅ぃや圭一と喋っているときの感覚が戻ってきた気がして、この時だけは私も心から笑っていたと思う。 だけどやっぱり、笑ってばかりいられないのだ。 「…………赤坂が、生きてこの村を出られる確率は、決して高くありませんでした」 「………………………」 「…ボクは赤坂に死んで欲しくはないので、生きて村を出ることが出来てうれしいです」 「梨花ちゃん。………最初っから、…私の正体は知ってたんだろ…?」 私は言葉こそ発しなかったが、しっかりと頷いて、肯定の意を示した。 「…なら、わかっていると思うけど、…私たちはこの村の、どちらかというと、敵の部類に入ると思う。なのに君は、いろいろと忠告してくれたね」 そう。確かに赤坂たちの所属は私たちの……雛見沢村の敵なのだと思う。だけど、私は最初に彼に言ったはずだ。死んでもいい人に警告などしない、と。 「なら、…私は君に感謝するべきなのかもしれないね」 「……感謝した方がいいのですよ。ボクは命の恩人なのです」 などと口では言ってみるものの、本当のところ私は赤坂を救ってなどいない。結局私は、赤坂に何もしてやれなかった。今だって、この村で起きる血生臭い事件に、彼を巻き込もうとしているのだ。 ……気付けば、古手神社の前まで来ていた。 「確か、……この神社が梨花ちゃんの家だったよね?」 「……………まぁ、そんなものです」 境内からは明かりと、少しばかりの笑い声が降ってくる。赤坂は不思議そうに、明かりの漏れる境内を見上げていた。 「…今日はお祭りの日なのですよ」 「お祭り?」 赤坂に聞き返され、私は答えるべきか迷った。この祭りの日は……あまり好きじゃないから。 「……雛見沢村の唯一で一番のお祭り。…『綿流し』のお祭りです」 答えてしまった。……仕方ない。こうなったらここで話そう。好んで近寄りたい場所ではないが、この話をするならきっと、ここが一番相応しいから―――。