■綿流しの夜に 「わた、ながし?」 赤坂が不思議そうに聞き返してくる。 「……祭りなんて名ばかりのつまらないものですよ。…見ますですか?」 赤坂も興味があるようで、無理に引っ張っていく必要も無くなった。 私が石段を数段上って振り返ると赤坂もついてきた。最初の頃のような警戒心は今の赤坂からは感じられず、少しだけ安心した。 境内の中には天幕が三張りくらい張ってあり、いくつか並ぶ机を囲むようにパイプイスが配置され、鬼ヶ淵死守同盟の重役でもある村の役人たちが酒を飲み交わしていた。 何度か見たが……どうしても祭りには見えない。 「…………ぁぅぁぅぁぅ……」 羽入の声からもいつもの騒がしさが消え、沈んだ面持ちで小さく声をあげるだけだった。……仮にも神社に祀られる神様としては、自分に関わる祭事がここまで堕落するのは悲しいものなのだろう。 「……ね?つまんないお祭りでしょう」 なんとも言えない複雑な表情でその飲み会を見つめる赤坂に声をかける。 「はは、……これは、…確かにお祭りには見えないね」 「……大昔からずっと続いてきたお祭りですが、…見ての通り、すっかり寂れてしまったのですよ」 年甲斐も無く騒ぐ老人たちに私は随分と呆れた表情を向けていたかも知れない。……まぁ私だって、年甲斐もなく騒ぎ立ててしまう時もあるのだけれど。 「はは、…これじゃ、祀られる神様も気の毒だな…」 赤坂の言葉に、羽入はうんうんと必死に頷いている。 「……こんなみっともないお祭りも、五〜六年もすると村中が総出でやってきて、…ちゃんと儀式も真面目にやる、立派なお祭りになるのですよ」 そう。血生臭い事件と引き換えに、この祭りは活気に満ちていくのだ。皮肉な話だ。祀られる神様はそんな事件を望んでいないのに、その祟りだと騒がれて、それが寂れた祭りを甦らせるのだ。 私はもう一度羽入の沈んだ表情を見て、もうここにいる意味もないだろうとこの場を離れる方へ歩き出す。赤坂も慌ててついてくるので、その姿を時々確認しながら高台に向かう。 高台にはすぐに辿り着いた。小さな家々の電灯や、ほんの数台だけ通る車のヘッドライトがどこか寂しげな夜景を演出している。 「………こうして眺めると、この村ものどかそうに見えますのです」 赤坂は少しの間その夜景に目を向けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。 「君は先日。…この村は絶対にダムに沈むことはないと、…そう断言したね」 質問ではなく、あくまで確認の問いかけだった。だから、答える必要はないだろう。 「あれは……、…あの時点でもう、大臣が要求に応じていた、という意味だったんだね」 「…………………………」 私はその言葉を聞いてから赤坂を振り返る。正直なところ、孫の釈放に関して何らかの取引が成立していたのかは、私にはよく分からない。だが、赤坂の推測はおそらく正しい。私は肯定も否定もせず、ただただ赤坂を見つめるばかりだった。 「多分、……今回の事件は闇から闇へ葬られる。…本庁上層部は多分、大臣のスキャンダルが公になってトラブルになることを望まないと思う」 「………さもないと孫を殺すぞと脅したに違いないのです」 「で、大臣との交渉が成功し、…孫は解放された」 「……孫を助けたのは赤坂ですよ」 「どうだろう。……発端となった、あの財布の発見。…あれ自体がすでに出来過ぎだったように思う」 実際、赤坂と大石の大捕物がどんな形で行われていたのかは、現場を見ていない私には分かりはしないが、赤坂の怪我の様子からして、例え茶番でもかなりの危険度だったと思われる。赤坂が孫を救出したことは紛れもない事実だと、私は思う。 「…………ボクには難しいことはよくわかりません」 「……同感だな。私にだって、難しいことはよくわからない。だが、ひとつ確実なことがある」 「……………?」 赤坂がほんの数日の捜査の間だけで確実と断言できる事。私は静かに耳を傾ける。 「君が言った通りってことさ。……この村は、ダム湖になんか沈まない。ダム計画なんて、その内、なくなってしまうってことさ」 そうなのだ。ダム計画はもうすぐ無期限凍結され、事実上の撤回となる。だけどその直前から始まってしまうのだ。ダム戦争なんかとは比べ物にならないほど残酷で不気味で……悲しい事件が。 「でも、…よかったじゃないか」 「……どうしてですか?」 全然よくなんかない。ダム計画撤廃は、雛見沢村連続怪死事件の幕開けでもあるのだから。 「少なくともこれで、……………この村に平和が戻るよ」 赤坂はそう言って、私に目を向けた。 その安心したような瞳に私は思わず聞き返していた。 「………平和が?この村に?」 赤坂の笑みと、私のひどく淡白な表情のコントラストは、ある意味笑えたのかもしれない。そんな事を考えていると、淡白な私の無表情に忍び笑いのようなものが浮かんでくる。私は目を細めると、くすり…と笑った。 「……これから毎年、血生臭いことが起きるのに?…くすくすくすくす」 「梨花ちゃん、………何の話だい」 この事は私しか知らない。言っても信じてもらえないから、誰にも話していない。それを私は、数十年ぶりに、人に話そうとしている。話して、何かが変わるのか……自信なんて無いが、チャンスは今しかないのだ。 「私ね。………………あと何年かすると、殺されるの」 私は月光を背に赤坂を見据える。 「…梨花ちゃんが……?……どうして…、」 「……………とても不愉快なことだけど。……それも多分、決まっていることなの」 「決まっているって、…誰がそんなことを決めるんだい!?」 「それを私も知りたいの」 それが知りたい。昭和58年の運命を狂わせて、必ず私を殺す「誰か」…あるいは「何か」なのか。それすらも分からない。今の私に分かるのは、私を殺そうとする何かが、昭和58年の雛見沢にいる、という事だけ。 「…………ここは、人の命を何とも思わない連中でいっぱいです。………これを伝えても、何も変わらないかもしれないけど。でも、…死という月を映す水面を掻き消すためなら、小石を投じることもあるかもしれない」 せめてその水面に波が立ち、月の姿が揺らぐ事があれば。ほんの少しの波でもいい。変わらない水面を、変わらない月を気まぐれに三日月に変えてくれるなら、私は手を尽くそう。 「………………来年の今日。…そう、昭和54年の6月の今日。ダム現場の監督が殺されます」 「……………え…………?」 突然の私の予言めいた言葉に、赤坂が戸惑った様子で聞き返す。私はただ真剣に、赤坂を見つめるだけ。 「…こ、………殺されるって、…………どうして……」 私は答えない。どうして、というその答えを、私だって知りたいのだ。 「……恐ろしい殺され方をした後、体中をバラバラに引き裂かれて捨てられてしまいます」 「バ、………バラバラ殺人………、」 「…その翌年の昭和55年の6月の今日。………沙都子の両親が突き落とされて死にます」 突き落とされて、か。この事件については、ほんの少しだけ私も知っているのだ。 「……あるいは、事故というべきかもしれない。……不幸な事故」 だから私は、そう少しだけ付け加えた。 「そして、さらにその翌年の昭和56年の6月の今日。…私の両親が殺されます。そしてさらに翌年の昭和57年6月の今日。沙都子の意地悪叔母が頭を割られて死にます。そしてさらに翌年の昭和58年6月の今日。……………あるいはその数日後か」 次の一言を口にするのに、少しだけ戸惑ったが……私は口をこじ開けて、その言葉を伝えた。 「……私が殺されます」 私が殺される、昭和58年6月の袋小路。 「全ての死が予定調和なら。………最後の死もまた予定の内なのでしょうか。……でも、ならばこれは一体、誰の予定なの…?」 この村は、人殺しや、人の命を何とも思わない奴らでいっぱいだ。 昭和57年までの死は、この村の誰かの仕業と思っていい。起こる全ての死は、この村を支配する奴らの都合による予定と思っていい。 でも、それでは昭和58年が説明できないのだ。最後の死は、奴らの都合でもあるはずがないのだ。奴らは人の命など、何とも思わない。奴らは目的を達する為の障害は、何であれ取り除く。 そして奴らの目的は、最後の死を否定しているのだ。だから、最後の死だけは、奴らと無関係なのだ。でも、最後の死は必ず、ほとんど、おそらく、例外なく、起こる。 多分、きっと、恐らく。最後の死は、ハンカチか何かで口を塞がれ、意識が遠くなって。 二度と意識を取り戻せないという慈悲深い形で行われる。 これは一体、誰の予定……? そこまで考えて、私の思考はぷっつりと途切れた。 その代わり、心の底からの願いが、口をついて溢れ出していた。 「………私は幸せに生きたい。…望みはそれだけ。大好きな友人たちに囲まれて、楽しく日々を過ごしたい。……それだけなの。それ以上何も望んでいないの」 「……………………梨花ちゃん……」 赤坂の声を聞き、仲間たちの顔が目の前をよぎる。あの楽しい日々を過ごしたい。だから私は――― 「……死にたくない」 私は―――生きたいのだ。