翌日、目を覚ました俺が最初に目にしたのは……毛玉? かと思いきや、それは妹が俺の顔面にぐいぐいと押し付けているシャミセンの背中だった。 よせ、毛が鼻に入る。 我が妹は相変わらずのはしゃぎようで、その元気の源を少しでいいから分けてもらいたいくらいだ。 「分けてあげよっかぁ?」 妹はそう言ってじぃ〜っと俺を覗き込む。 「……何だよ」 「はいっ、もういいよキョン君。今のにらめっこで、元気になったでしょ?」 「このにらめっこにどんな効能があるってんだ」 言いながら、前にもこんなことがあったなぁと思い出す。あの時は確か、コンピ研とのゲーム対決でハルヒに闘魂を叩き込まれたんだったな。 そんな、一見いつも通りの朝を過ごしながらも、俺の脳内にはクエスチョンマークがてんでバラバラな方向に飛び交っていた。 悩みの種、諸悪の根源はモチロンあいつ、涼宮ハルヒだ。 機嫌は良さそうなのに、超巨大閉鎖空間を発生させるその理由を突き止めなくてはならない。 他人の悩み事なんざあまり関わりたくはないが、ハルヒが絡めば話は別だ。なんたって関わらないと世界が崩壊しちまうかもしれないんだから。 「……悩み事、ねぇ」 俺はそんな事を呟きながら家を後にした。 「谷口、お前の悩みって何だ?」 学校について早々、下駄箱の目の前で目についた、見慣れた後ろ姿に俺はそう声をかける。 「ん? あぁキョンか。何だよ朝っぱらから。涼宮病にやられたか?」 そんな病があったら真っ先にお前にうつしてるよ。 「マジで、やめてくれ」 「とにかく、何か悩みとかないか?」 「悩みねぇ……んなこと急に言われてもなぁ」 谷口は俺と並んで教室に向かいながら、そう言って首を捻る。 「つか、何でそんな事聞くんだよ?」 「別に……何だっていいだろ」 軽く突き放すように言ったつもりだったのだが、どこをどう解釈したのか、谷口の顔がパッと輝いた。 「わかった。お前、どっかの女子に俺を探るように言われたな?」 「は?」 「隠すな隠すな。俺様のこの美麗なルックスと知的な振る舞いで、俺に惚れちまう女子もいるものさ」 「だから、何の――」 「どこかの内気なその子が俺の悩みを解決して気を引こうとしてくれてんだろ? いやぁ、まいったなぁ」 前々から思っていたが、やっぱりコイツは馬鹿だ。とんでもなく馬鹿だ。 「理由は言えないがひとつだけ断言しておくぞ。それはない」 「……だよなぁ」 そういってはぁ、とため息をつく谷口。 見慣れた光景だからか、変だとはまったく思わなかったが……これは谷口病とでもいうんだろうか。 ま、谷口の場合、女子に人気がないのが目下の悩みだろうな。何の参考にもならんが。 教室に入ると、今度は先に来ていた国木田に声をかける。 「国木田」 「やぁキョン、おはよ。谷口も」 いつも通り朗らかな朝の挨拶が返ってくる。 「お前最近、何か悩んでることとかないか?」 「僕の悩み? また変なこと聞くねぇ。涼宮さんにでも言われたの?」 俺が変なことを言い出すと全部ハルヒのせいだと思われるらしい。まぁ今回は好都合だが。 「まぁそんなところだ。そんなわけなんだが、何かないか?」 「僕の悩みねぇ……ん〜、やっぱ、谷口のナンパ癖かなぁ。一緒にいる立場としては笑えないものがあるよ」 「あ〜……まぁ、そうだな」 谷口の悩みなんかより数倍マシだが、この悩みも参考にはならなそうだ。 「どうしたもんかねぇ」 「何がよ?」 自分の席に腰を下ろしつつ、思わず声に出してしまった自分の口を呪いたくなってきた。 真後ろの席から聞こえた聞きなれた声。 我らがSOS団の団長閣下。諸悪の根源こと涼宮ハルヒのつまらなそうな声だった。 なお、ここでいう「つまらなそう」というのはいつも通りという意味であり、閉鎖空間を発生させるときの機嫌の悪さとは別モンだ。 まぁそれでも、十二分に迷惑かつ恐ろしいのだが。 「あ〜、いや、何でもねぇ」 「何でもないってことは無いでしょ? 何か面白いことがあるならあたしも混ぜなさいよ」 「たいしたことじゃねぇよ。今日の授業で俺が当たりそうなとこがわかんねぇだけだ」 咄嗟の嘘にしては上出来だ。 それに半分以上本当のことだしな。あとで国木田にでも助けを求めよう。 ハルヒはといえば「何だそんなことか」とでも言いたげに俺から視線をはずし、いつものように窓の外の青空を観察している。 まったく、やれやれだ。 ハルヒの悩みとやらに関して何の手がかりもつかめないまま昼休みになった。 今回の件を持ち込んだ張本人に話を聞こうと9組に向かったが、あいにくと古泉の姿は無かった。 どうしたもんかと思い悩み、何の気なしに中庭で時間を潰していると、意外な人物が現れた。 「ここ、よろしいですか?」 「……ええ、いいですよ」 その人物は俺に「どうも」と言って笑いかけ、俺の向かいに腰を下ろした。 ゆるくウェーブした髪を軽く撫でつけながらやんわりと微笑んでいるのは、何とまぁ、喜緑江美里さんだった。 「俺に何か用ですか?」 「いえ、特には。ですがまぁ、一緒にお茶をするくらいいいじゃないですか」 「俺は構いませんけど……喜緑さんはいいんですか?生徒会の方とか……」 「いいんです。私だってたまには、サボったりもするんですよ?」 この人の場合、サボる以前に有能すぎて生徒会の事務なんてものの1分足らずで片付けてしまえるだろうに。 有能はこの場合ハイスペックというべきかも知れんが。 何にせよ、北高生徒会秘書兼対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースである彼女にこの学校内で不可能は無いだろう。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 無言。 いや、確かに用がないとは言っていたが、こうも無言が続くとなんとも耐え難い。 「あの」 「はい?」 そしてものすごく即答なんですが。 「……えーっと」 「はい?」 沈黙を脱したい一心で、続く言葉を何も考えていなかった。むしろさっきより尚更気まずい。 頭の中身が右往左往している俺を、喜緑さんは愉快そうに見つめている。 「あなたの好みのタイプはどんな女性ですか?」 「……は?」 唐突な質問に間の抜けた返答を返してしまった。 「な、何です?急に……」 「ほんのお喋りです♪」 相変わらずのやわらかい笑顔で言われた。何か、ちょっとキャラ違いませんか? 「んーと、好みのタイプですか?……すみません、考えたことも無くて。喜緑さんはどうです?好みの男性は?」 「そうですね……やっぱり引っ張ってくださる力強い方……なんて、ありきたりですね」 喜緑さんはそう言ってくすくす笑う。 コンピ研の部長氏は絶対に当てはまらないと思うが。 「恋愛なんてものは理屈じゃありませんから。好みとはかけ離れた人を好きになることもあるんです」 「そんなもんですかね」 そういえば俺の周りにはそういう要素が少ないな。などと考えていると、喜緑さんが立ち上がって俺を見つめる。 「あなたは、どうするのですか?」 「……え?」 いつもの温和な雰囲気が消え、逆光の中で一瞬、その瞳が怪しく光ったような気がした。 「いえ、なんでもありません」 喜緑さんはいつもの雰囲気でそう言うと「ごきげんよう」と言い残し去っていった。 「恋愛……か」 「恋愛、ですか?」 教室に戻る途中、古泉と出くわした。 俺が中庭で喜緑さんと話した内容を聞かせてやると、古泉はそう聞き返してきた。 「涼宮さんの悩みが恋愛……無いとは言えませんね」 「そうか?俺はあいつに限ってあり得ないと思うんだが」 古泉は俺の言葉に肩をすくめながら答えた。 「以前にも言いましたが、涼宮さんだって一般的な思考形態を持っています。ですから表に出さないことを考えていないとは限りません」 「まぁ、そりゃそうだが」 そうは言っても結局のところよくわからない。 いや訂正。まったくわからない。 結局今日も、何もわからないままらしい。 まったく、いつになったら解決するんだろうな。せめてそれまでの間は、他の厄介ごとが舞い込まないことを祈るね。 「んっ、ん……」 また、夢。 「ん……ど した?」 「      」 「そ か。それ ゃあ、こ したらどう ?」 途切れ途切れに、言葉が聞こえてくる。 「      」 私も、何かを答えている。 「  …… き……好き」 スキ?好き?好きって、何? 「……っは、俺もだ ……好きだよ、長門」 『!!』 目が、覚めた――――。