敵と呼ばれて… 「お前、敵」 えっと…何だろう? 俺の前に立っているのは、小学校低学年くらいの女の子。漆黒の瞳と同じ色の長い髪。長いまつ毛に縁取られたその顔はなかなか綺麗で、前途有望な顔立ち。言っておくが俺はロリコンではない。 「あ〜…何かな?」 「敵」 …一点張りってのはこういうのを指す言葉だったよな? 女の子は着ていたワンピースの背中に細い腕を回して何やらごそごそやっている…っておいおい… 「敵、殺す」 一点張り幼女が取り出したのは、どこに入っていたのか不思議でたまらないくらい巨大な包丁だった。周囲に人がいたら大騒ぎだろう…いや、人はいる。「俺がいる」のだ。 「な、何持ってんだよ!!」 「凶器」 武器、とかならまだギリギリ子供の考えとして理解できるかもしれない。だが、この物騒な幼女はよりにもよって、それを凶器と呼んだ。 「だ、だから、何でそんな物を持ってるんだよ!!」 「敵を殺すため」 会話が成立するけど成立しない…。 殺人、なんてのは普通、どう考えてももう少し年上の人間の考えではないだろうか…? 「敵、殺す」 また言った。そして直後に幼女が飛び掛って来るまで、数秒もかからなかった…。 「考一、早くしろ」 「お前が遅いんだろ」 そう言われて、赤い子供用のサンダルに足を入れていた幼女が、戸口に立つ俺を振り返り、ジトっとした目でこちらを睨みつけてくる。数秒の睨みあいの後、先に根を上げたのは俺だった。 「はいはい、悪かったよ。ほら、行くぞ」 ジト目のまま、幼女は立ち上がり、すたすたと俺の後ろにやってくる。 「早く『消えろ』よ?」 「平気、もう消えてる」 俺たちのすぐ脇を、同じアパートに住む三鷹のおばさんが通りかかった。 「孝一君、学校かい?」 「ええ。今日も学校ですよ。学生は学生で忙しいものです」 「昔よりは楽になったんだよ、これでも」 三鷹さんに返事を返しながら、俺は三鷹さんの目に俺しか映っていないことを再確認する。 既に幼女は消えているのだ。 三鷹さんの足音が遠ざかるのを確認してから、俺は『ひとり言』を呟く。 「行くぞ、ミライ」 「うるさい。孝一は何も言う必要は無い」 「…はいはい」 むっと来る物言いだが、慣れると何とも思わない。 俺は意味も無く肩をすくめて返事をし、学校へ向かって歩き出す。俺の後ろをムスっとした顔でついてくる実は凄く危険だったりする幼女は、俺にしか見えない……らしい。 事は一週間前に遡る。 俺に殺す、と告げたこの女の子が、なぜか俺の家に住み着いているのにはもちろん理由がある。あるんだが俺には理解できない。 とにかく一週間前。物騒なこの幼女が俺に飛びかかろうと身をかがめた瞬間、俺と幼女の間に爆風が巻き起こった。 「ぅげほっ、げほっ…」 いきなりの爆風によって巻き上げられた砂が小さな竜巻のようなものを形作り、俺はその風圧にむせ返った。 「久しいな、先駆者(ミライ)…」 「…指揮者(タクト)…」 竜巻の中から聞こえた男の声に、幼女の物怖じしない声が無愛想に返される。ブォオっと一際大きな音を立てて竜巻が消えた瞬間、俺の口はあんぐりとしか形容しようの無い形に開いていた。 道路の真ん中に、小型のクレーターが出来ている。道路の中心にコンクリートをブチ抜いた巨大な穴が一つ。ウスバカゲロウの幼虫(通称:アリジゴク)の巣を思わせるような円形の穴の中心に、一人の男が立っていた。 ガッチリとした体格に似合わぬピシッとしたスーツに身を包み、光り輝く金色の髪をオールバックにし、サングラスと無精ひげが妙に似合う男。その男は、咥えていた煙草を吐き捨てると、硬そうな靴で踏み潰してニヤリと口元を歪めた。 「先駆者ともあろうお方が、こんな辺境で何をしている?」 「指揮者には関係の無い事だ。貴様は自分の楽団を率いて立ち去れ」 先駆者に指揮者…?ワケが分からない…。 「…さっきまで一緒にいた気配はどうした?」 タクトが周囲をキョロキョロと見回し、俺に目を留める。 「人間…だっけか?ここの住人」 「貴様の言う気配はおそらくそいつが発していたものだ。駆逐しようとしたが気配が急に途絶えたのでな」 ここにきてようやく俺は感じる。さっきまで、俺に殺すと詰め寄っていた時の幼女と、雰囲気が違う事を。 「こいつがぁ?…ハッ、まぁどうでもいい事だな。今は」 男は一瞬値踏みするように俺を睨みつけた(ように思えたがサングラスをしていたのでよく分からない)が、すぐにミライと呼ばれた幼女に視線を戻した。 「まずは、ケリつけようじゃねぇのよ。話はその後だ」 「貴様の口が動けば、の話だろう」 「ハッ、言ってくれるね。行くぜぇッッ!!!」 咆哮と共にまたしても巨大な竜巻が発生し、徐々に肥大化してゆく。 (や、やべ、死ぬ…!?) 一瞬そう思った。マジで死ぬかと思った。同時に、死にたくないと思った。心から願った。 ―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――― 膨れ上がった竜巻がなぜか俺を避けてゆく。肥大化し続けながらも、俺の周囲だけはポッカリと球状になり、呆然と立ち尽くす俺を砂嵐から守っていた。 「…そこの人間、目障りな力を持っていやがるな…」 男がそう呟くのが聞こえた。轟音の中で、おそらく俺の周りにだけ聞こえる声。他の人間には砂の舞い上がる音しか聞こえないはずだ。 「術で勝てねぇなら、力だ」 男が舞い上がり、俺のほうに突進してくるのを感じる。別に気配を読む力など俺には無いのに、男の居場所はおろか、男の体の微細な振動まではっきりと感じ取れる。 だから、何をされるか分かった。だからまた願った。死にたくないと。 男の術とやらで肥大化した太い四肢が四方から俺を狙って飛び込んで来る。 俺を、黒い何かが覆った。 男の四肢を軽く跳ね除け、俺の恐怖心とリンクするように咆哮を上げた、俺を包む何か。具体的には…龍だった。 何が何だか分からない。俺の体は黒龍へと変わり、俺の意志のままに太い四肢を振り回し、俺の意志のままに巨大な両翼が羽ばたく。全身を駆け巡る熱さが、俺が火を吐こうと思えば瞬時に火を放てる事を教えてくれる。 繰り替えす。何が何だか分からない。分かる事は一つ、やらなきゃ、やられる。 「ゴォオォォオオオオ!!!!!!」 この世のものとは思えぬ咆哮と共に、俺の喉を熱いものが昇り、俺の口から吐き出される。 一瞬あたりを真っ赤に照らしたそれは、火炎。 「馬鹿な…人間が…黒龍を操る…だと…?」 立ち尽くす男が火炎に包まれる。叫びすら上げず、俺の火炎の中で、男は白い砂になって崩れ落ちた。 クレーターの中心で白い砂が幻想的に輝く。その光景を最後に、俺は奇妙な浮遊感の中で意識を失った。 「…う…」 目を開けると、夜の星空。今夜は満月。 「やっと起きた」 隣から声をかけられ、ビクッとする。ゆっくりと振り返ると、あの物騒な幼女が不機嫌そうに口を尖らせて俺を睨んでいた。 「驚いた、お前、黒龍を操れるの」 「…黒龍…?」 ゆっくりと戻ってくる記憶と意識。気を失う直前に、自分の身に起きた事がはっきりと思い起こされる。 「あれが、龍…?」 「そう」 黒い衣。鱗に包まれた体に棘の生えた尾。四肢に光る鍵爪に口に並ぶ牙。そして何より、体中で煮えたぎる火炎。 「お前は一つの時代に数人いるかいないかという希少な能力を持っている。黒龍の力を引き出すのはとても難しい」 「黒…龍…?」 再び口にしてみると、さっきよりもずっと身近に感じられた。 「…決めた。おい、お前」 「…何だよ」 「今日から世話になるぞ、よろしくな」 「は?」 幼女は言ったのだ。俺には到底理解できないような理由を。 「お前のような強大な存在、放っておくにはあまりにもリスクが高い。私がそばについていてやる」 謎の力「黒龍」を、なぜか操れる俺、綺堂孝一(きどうこういち)。 無愛想で物騒な術師、ミライ。 俺たちはまだ知らない。この先に待ち受ける、運命も、謎も―――                                              <To be continued…?>