東方紅章幻 「あのー」 「…………」 「あのー」 「………………」 「あの……えっと」 「……………………」 「パチュリー……様?」 「…………………………………………」 時はいつやら。 場所は霧の湖の畔に立つ洋館『紅魔館』。その地下にある大図書館である。 先ほどからしきりに声をかける小悪魔(リトル)を執拗に無視し続けているのは、紅魔館の頭脳ことパチュリー・ノーレッジであった。 パチュリーは長い髪を時々揺らしながら、黙々と手元の本を読み、片手でメモをとっている。 その小さな口は本を読むスピードに合わせてものすごいスピードで動いているが、あいにく小悪魔にはそれが音を発しているようには思えなかった。 彼女の口は絶え間なく動き続けているが喘息持ちの彼女が息継ぎもせずにしゃべり続けられるとは思えない。 手元の走り書きの内容も、小悪魔にはさっぱり理解できないものだった。 「パチュリー様〜?」 「………………………………」 何度目かの呼びかけにも反応する様子がない。 仕方なく、小悪魔はもと来た道を引き返すことにした。 「お、戻ってきたな。どうだった……って、その様子じゃ聞くまでもなく失敗したな」 「…………はい」 小悪魔が部屋に戻ると開口一番、イスに座って紅茶を飲んでいた「少女」が小悪魔より先に結果を口にした。 「まったく、パチェのやつどうしたんだろうな。特に急ぎの研究もなかったはずなんだが」 そう言いながらものんびりと紅茶に口をつけているのはこの紅魔館の主、紅い悪魔レミリア・スカーレット。 小悪魔も思い当たる節がないという様子で首をひねる。 「そうですね……私の方でも依頼はしていませんし、一週間ほど前まではむしろ暇だと言っておりましたが」 どこからともなく紅茶のおかわりと共に現れたエプロンドレスの少女が、小首をかしげながらレミリアたちに近づく。 彼女は十六夜咲夜。紅魔館に住み込みで働くメイド長である。 「咲夜にも覚えがないんじゃ他に聞くやつなんていないわね」 「そうですね……美鈴はどうでしょう?」 「美鈴? あいつがパチェに魔法に関する頼みなんてするようには見えんが」 「はい、そうですね」 「……いや、そうですねって」 「いえ、その通りだと思いましたので」 「…………」 相変わらず満面の笑顔であっさりと自分の発言を否定する咲夜。呆気に取られるレミリア。 その様子だけ見ると立場が逆なのではないかと思えてしまうくらいに二人の表情は対照的だった。 と。 ドッカーン!!!! 「わ、わわわ」 小悪魔がよろめきながら(浮いてるのに……)窓に駆け寄る。 咲夜とレミリアも窓に駆け寄り、入り口の門を見下ろす。 「あれは……美鈴と……珍しいな、妹紅じゃないか」 「そのようですね」 門番の紅美鈴と対峙しているのは、迷いの竹林に住む(らしい)紅の自警隊、藤原妹紅だった。 「そういえば久しぶりだな。美鈴への挑戦者は」 「そうですね。数日前に来た彼女を挑戦者にカウントしなければの話ですが」 咲夜が額に青筋を浮かべながらも笑顔で言い放つ。 数日前に来た「彼女」。 通称「白黒」。 言うまでもなく、霧雨魔理沙のことである。 相変わらずパチュリーの魔導書を目当てに、一週間に数回は紅魔館に突撃を敢行するはた迷惑な魔法使い。 ついこの間も派手に火花を散らしながら突撃してきて、派手に撃退されたばかりだった。 咲夜が頭の中で対魔理沙用の罠を思案している最中も、紅魔館の主は外の対決を眺めていた。 もっとも、この二人の対決は、レミリアにとってさほど面白いものではない。 『気を使う程度の能力』の持ち主と『死なない程度の能力』の持ち主という、一見噛み合わない対決ではある。 あるのだが、格闘の達人である美鈴と倒れることのない妹紅の対決はやたらと長い。 その上、互いにまず倒れないので当人たち以外は見ていてもそう面白いものではない。 当の二人も互いに決着がつくことはないと理解しているようで、いつも妹紅の腕試しが終わると適当なタイミングで勝負を切り上げるようにしている。 暇つぶし程度にその様子を眺めていたレミリアが、ふと目線を二人より上に向けた。 「あら……咲夜、面倒なのが来たようよ」 「……そのようですね。リトル!! 行きますよ」 「は、はい!」 外の二人も気づいたようだった。 レミリアの視線の先には、ものすごいスピードで紅魔館に接近してくる白黒の魔法使いの姿があった。 『白黒接近中、白黒接近中』 紅魔館中にリトルの放送が響き渡る。 メイドの妖精たちは咲夜を筆頭にぞろぞろと館の前に整列を始める。 「今日という今日は……逃がしませんっ!!」 咲夜の合図で妖精たちが思い思いに攻撃を放つ。 「ぉわっ!! ちょ、待て待て待て。今日は違う、違うから……のぁあ!!」 「問答無用です」 「わ、わ、わ……やめ、ちょ、咲夜、話を聞いてくれ……って……あ」 ボン!! 一人の妖精が放った火の玉が魔理沙を直撃する。 どさっ。 …………。 「……魔理沙?」 咲夜が恐る恐る声をかける。 …………。 返事がない。ただの屍のようだ。 「じゃ、なぁあい!!!」 数秒の後、魔理沙は覚醒した。 「ったく、今日はキチンと手順を踏んで入ろうとしたのに、酷い目に遭ったぜ」 「夜に来るなんて珍しいと思ったら、そういうことだったのね」 一同は再びレミリアの部屋に戻ってきていた。 魔理沙は不当な扱いを受けた、と不服そうだが普段の行いが悪いのだから咲夜もリトルも謝罪などしなかった。 「で、それは本当なのね?」 「ああ、もちろんだぜ。今日はパチュリーに呼ばれて来たんだよ」 魔理沙はパチュリーに呼び出されたのだという。 それに関しては、リトルが魔理沙に手紙を届けていたこともあり、どうも本当らしいということになった。 「パチェなら今日も図書館にいる。最近はどうも何かにご執心だけどね」 「ご執心?」 不思議そうな魔理沙を連れて、リトルが部屋を出て行く。 「……パチェが魔理沙を呼ぶとはね……咲夜」 「はい」 「これは関係あると思うか?」 「おそらくはあるかと思います。普段でしたら図書館になんて通しませんもの」 咲夜はそう言うとフッとその場から消えた。 紅魔館地下・大図書館 「パチュリー、邪魔するぜ」 「…………」 「おい、パチュリー?」 「…………魔理沙? 何か用?」 「おいおい、呼び出しておいてそれはないぜ。そっちこそ何の用だよ」 「呼び出し……?」 数秒間、思案顔で魔理沙の顔より少し上を見つめていたパチュリーがようやく思い出したように目線を戻した。 「アンタを呼んだこと、すっかり忘れてたわ。ちょっと手伝ってほしいのよ」 「手伝いぃ? んなものわたしじゃなくたっていいじゃないか」 「アンタの火力が必要なの。妖怪が扱う炎じゃ大きすぎるのよ。他の誰かでいいならアンタなんか絶対呼ばないわ」 「なんかひどい言われようだな」 魔理沙はそう言いつつもさほど気に触った様子も無く、パチュリーの隣の椅子に腰を下ろす。 「ミニ八卦炉。あれが丁度いいと思うのよ」 「ふぅん……で、何でわたしが八卦炉を貸さなきゃいけないんだよ。わたしには何の得もないんだぜ?」 「わかってるでしょうに……協力してくれたら、実験の最終段階、八卦炉を使う段階を見学させてあげるわ」 「よっしゃ、協力するぜ!!」 その展開がわかっていた様子で、魔理沙はぐっと拳を握る。 「それで、いつなんだよ、その実験は」 「明日の夜のつもりだったけど……丁度いいところにアンタが来たし、準備して今夜行いましょうか」 「んじゃ、帰って八卦炉持って来るぜ……あ、そうそう」 「何よ?」 「咲夜たちに、戻ってきたときにわたしを迎撃しないよう言っといてくれよな」 「……はいはい」 三十分後。 大図書館の床には巨大な魔方陣が敷かれ、その手前にミニ八卦炉を中心とした一回り小さな魔方陣。 更にパチュリーと魔理沙がそれぞれ入る一人用の魔方陣が二つ。 「へぇ、よくこんなもんが用意できたもんだぜ」 「属性魔法じゃないから、ちょっと手間取ったけどね。形さえできてしまえば『土』の属性をいじるだけでなんとかなるものよ」 興味深げに魔方陣を覗き込む魔理沙。 「ほら、いつまでも歩いてないで、魔方陣に戻ってくれない? 実験が始められないわよ」 「おっと、そうだったな。忘れてたぜ」 「だったら忘れたまま帰ってくれるとありがたいんだけど?」 「その場合八卦炉も持って帰るぜ」 互いに笑顔のまま、魔方陣の中から文句を言い合う。 「ま、いいわよ。始めましょう」 「そうそう、さっさと始めようぜ」 「言っとくけど、くれぐれも邪魔はしないでね? 魔方陣からも出ないでよ」 「さっきも聞いたぜ。いいから安心して始めてくれよ」 いまいち安心しきれないが、いくら言っても無駄なものは無駄だろう。 そう割り切ると、パチュリーは視線を魔理沙から巨大魔方陣に戻し、詠唱を始める。 「―――、――」 「――――――、――、――、――」 「―――、――――」 「――――――!!」 詠唱が終わった瞬間、魔理沙が打ち合わせどおりに八卦炉に火を灯す。 瞬間。 ゴォオ!!!! 「おぉっ!!」 巨大な魔方陣の中央に現れた「それ」に八卦炉の炎が燃え移り巨大な火柱が立つ。 「すげぇっ!! これがさっき言ってたヤツなのか?」 「そう。成功みたいね『属性の使い魔』の生成」 火柱は徐々に枝分かれし始め、ユラユラと揺れながら人のような形をとり始める。 のっぺらぼうの『火人』は背中に羽のようなものをはやすと、そのまま動かなくなった。 「なんだ、あの形」 「……おそらくは悪魔か吸血鬼ってところね。わたしのイメージをもとに作ってるから、リトルだと思うけど」 「ってことは、レミリアをイメージすれば吸血鬼になるのか?」 「形はね。能力はあくまで『火を操る程度』でしょう。それも妖怪には大いに劣るわ」 「そんなもん、何で作ったんだ?」 「暇だったから」 パチュリーはきっぱりと言い放つ。 「さて、成功したし、もういいわ。魔理沙、火を消して」 「ちょい待ち。もう魔方陣出てもいいのか?」 「いいけど、適当なところで火は消して。それから他の魔方陣には入らないでよ」 「おっけー」 そう言うと魔理沙はひょい、と魔方陣を飛び出し、使い魔の魔方陣のまわりをくるくると歩き回って観察している。 パチュリーは魔方陣の中に座り、詠唱で使った喉を休めている。 「ふむ……よし、火、消すぜ」               魔理沙が火を消すと、使い魔はぐにゃりと形を歪め、数秒の後焼失した。 「……魔理沙は帰った?」 魔理沙が図書館を出てからすぐ、紅茶を持って現れた咲夜にパチュリーはそう尋ねた。 「ええ、つい先ほど。ついでに言っておきますと、レミリア様も先ほどお部屋に戻られました。……もう明け方ですし、眠くなられたのでしょう」 「そう、レミィも寝たのね……咲夜、実験が残っているから、次は呼ぶまで来なくていいわ。リトルもそっちで使って頂戴」 「……わっかりました。それでは、こちらには近づかないよう、他のメイドにも言っておきます」 「よろしく頼むわ」 「ええ」 咲夜はそう答えると微笑んだままふっと消えた。 「さて」 パチュリーはそう呟くと静かに紅茶を置き、立ち上がる。 魔理沙の八卦炉と使い魔の熱が消える前に始めなくてはならない。 「まったく、連続での詠唱なんて面倒だわ……」 「―――――」 「――――、――――――」 「――――――――、――、―――――」 「―――、―――、―――」 「――――」 「――、――、―――――――――!!!」 詠唱はここまで。 最後の、仕上げだ。 「……属性『火』『変化』……『変動』『幻想』……」 「……『召喚』……!!」 そう唱えると、魔方陣が光に包まれた―――。                                              ...to be continued...